また夜に。
新年1月、いかがお過ごしでしたか。まもなく節分。改めて気持ちを切り替えるのによい時期がやってきます。何度でも、仕切り直して、進みましょうね。
さて、今月、わたしが強く記憶に残したのは、一通のお手紙です。占いの仕事を始めたばかりの頃に、鑑定現場で色々教えてもらった方から、年賀状の返事としていただきました。
雰囲気のある容姿と慈愛深い人柄がお客様に人気の先生で、その方と同じ現場に入ると、大変緊張したものです。手相の知識も、柔らかで冷静な表現方法も、とてもわたしには敵わない、と思えたから。だから、少しでも恥ずかしくないように力を尽くそうというファイトが湧きました。忘れません。
占い小屋で(”小屋”です)ひっきりなしにお客様の続く日、なりふり構わず(゚ー゚;必死で鑑定しながらも、隣から聴こえてくる強く優しい言葉が意識されて、大いに影響を受けました。
そうして大変暇な雨降りの日には、まだ手相の基本しか知らないわたしに、様々な占術の魅力を伝えてくれた人。進んでわたしの運勢を調べてくれて、肯定的に「ここが素晴らしい」というところを指摘してくれました。誰にでもそんなふうにされる先生でした。
それでいて、押しつけがましさというものがまったくない、占い師には珍しい方で(゚ー゚;、純粋に占いが好きなのだなぁ、運命学とはそんなに深く面白いものなのか、と、その方の態度からわたしは実感して知ったのです。
いただいたお手紙の文面は、昔と変わらない、温かい励ましにあふれていて、
嬉しさを感じると同時に、このような優しく強い肯定の言葉を、今のわたしは出し惜しみしているかもしれない、と、かつての緊張がよみがえりました。有難いことだと思います。
敵わない人がいると思えるのは、嬉しいことですね。だから、しっかりしなければ、という気持ちになれる。
そうして、こんなふうに「敵わない」という評価は、自分が決めることで、誰かから言われることではありません。いまだ未熟なわたくしですが、そのような実感のもたらす確信については、わたしは揺らぎがないのです。
どうしてこんなふうに書くかというと、最近、「揺らぎ」が目につき、関心を持っているから。
例えば、手相や占いに興味のある人たちと接していて気になるのが、「テレビでこう言っていたが」と揺らぎ、「他の本ではこう書いてある」と揺らぎ、「ネットでは…」と、疑心と不安ででしょうか、揺らぐこと。
そんなとき、わたしが「それは間違っています。答えは絶対これです。わたしが正しい。有名な○○さんも言っています」などと断言すれば安心するのかもしれませんが、そうしませんので。
わたしも、正しい、あるいは間違いだと確信の持てることははっきり言いますが、けれど、言い伝えられてはいるけどどうも実感持てないなぁというような、あいまいな部分は、断定せず、「確かかどうかは実例をさらに検証しないといけない」と言います。正直さがもの足りないでしょうか?
危険を避けるために疑心は必要ですが、(わたしも疑心の強い人間なのでわかるのです)、自分の実感はどこにあるのかな、基本を勉強してそれから自分で答えを探す気概がないのかなと、思ってしまうことがあります。
本当に手相が好きな人だと、色々な人の手を見て「これは本当にあたる」とか「これは使いにくい」とか、積極的に報告してくれる人もいます。情報を鵜呑みにせずに、けれど素直に先生や本やテレビなどからも学んで参考にして、実際は自分で確かめているのです。
答えを間違えないように、他人から批判されないように生きていくことは大切でしょうが、絶対に間違いをしないということはできない。それに、多少間違っていやな思いをしたり調べ直したり自分で納得したりを繰り返さないと、なかなか身につかないもの。
Aさんという人の言葉を後ろ盾にしただけの、自分の実感のない答えしか持たない人は、Aさんに悪評がたつと、今度はBさんに乗り換え、Bさんも評判が落ちると、次なるCさんを探す…
そんなふうに、他者の保証がないと言葉を口にできない人、自分の実感が得られないままに揺らいでいる人は、いつまでも自分に自信が持てないのではないでしょうか。
占いに限ったことではないですね。
正しい答え探しを急ぐばかりでなく、対象に興味をちゃんと持って少し間違っても動いてみたほうが、答えは近づいてくるもの。自分で見つけると、気持ちがいいのです。
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コメント
風光さん、コメントありがとうございます。
「建設は破壊から」、口にしにくい言葉ですが、そのようにも思えます。破壊があって新しい学びがあり、そうして守るべきものの建設が始まるというのは、運命学的にみても自然の流れとなっています。
今日はカルチャーセンターの継続コースの初日で出かけてまいりました。
受講生の方もスタッフの方々も色々と辛抱し漠とした不安を抱えながら日々を送っている、と、あたりまえのことを実感することで、慰めもまた覚えたような日。晴天で、近隣の桜も開きはじめました。
過度な自粛ムードはおかしなことで。肩身を狭くすることが被災地のためになるとは思えません。今を感謝し花見しようと思っています。花粉症はわたしはまだ大丈夫です。まわりでは花粉症の人の割合のほうが多いぐらいに感じます。でも被災地の苦難を思えば、花粉症がつらいとも言いづらい、この我慢ムード。それが気がかりであったり。
つらい、つらい、と、許される場所ではときには言って吐き出さないと、糸が切れてしまうかも。愚痴のもらせる人、環境が大事と感じます。
風光さんは、花粉症は? 体調は改善されているのでしょうか。
またこれから一年、お力を尽くしていかれるはず。お体大切にされて、お花見もたのしまれますように、と。
投稿: 恵美花 | 2011年4月 1日 (金) 18:32
心に明るさは戻ってくるのかと
今だそんな思いの中で3月も終わろうとしています。
この年のこの月に起きた未曾有の災害は
無い知恵のままでも「どうして?」が頭を過ります。
以前サラリーマン時代、ある国税局の局員から「建設は破壊から」と言う言葉を聞きました。
当時、会社が倒産寸前となり、その状況から新しい会社組織で建て直しに奮闘している時期でもありそんな言葉を私にしてくれたのだと思います。
そんなことを思い出す3月でもありました。
明日から4月ですね。
種まきを充分して、秋の収穫に笑顔の人々の姿がみれることをと、私もせっせと種をまいていきます。
恵美花さんも、花粉は?大丈夫でしょうか
心身ともに歓びに満ちた輝きを皆さまにお与えください。
キラリト輝くメガネの先の瞳が、多くの方の心を豊かにするお姿だと、生意気ながら私はそのように感じております。
では。
投稿: 風光 | 2011年3月31日 (木) 09:54