ブログのメンテナンス

W_roseboxa_256niftyココログのメンテナンスの関係で、一部のブログデザインが崩れているそうです。

ここも、リンクの字が大きくて見苦しいですが、いましばらくご勘弁願います。

ブログは、更新が簡単で楽しいですけど、一から自分で作るホームページとは違って、何もしていないのに設定が変わってしまうことがあり、そこがちょっと…ですね。便利さの代償、でしょうか。

・・・今日は、つれづれブログです。

昨日、三年ぶりぐらいに会った友人が「前に買ったのを忘れてブックオフで2冊買っちゃったから」と、本をプレゼントしてくれました。綿矢りささんの「蹴りたい背中」。最年少で文藝新人賞をとったことや本の噂は知っていましたが、自分なら買わない種類の本です。

友人は詩人で、感性豊かな人。私よりも少し年上なので、「こういうの読むのかぁ」と、意外な気がして興味が湧いたのと、うん、たぶん、なんだかんだ言っても読んでみたかったんでしょうね、今の小説。(私は自称シブ好みなのです…)

お風呂で1時間、読み終えました。

コミックのように簡単に読めてしまって、あっけなかったけれど、忘れていた感覚を刺激されたのがよかったです。

主人公は高校生。年を重ねるに従って(意識的に?)忘れていく、人と人との距離への意識、違和感、親和感の過敏さを、いとしく思い出しました。

私も、いとしいと、”蹴り”たくなるほうです^^

・・・それから、先日書いた「転換期の相が出ています」と言われた件について、「私、今日、2回もそう言われてしまいました。気になるので鑑定してください」というお客様からのメールが・・・

遭遇されたこと、ありますか?

お客様に恵まれて私としてはよいわけなのですけどね。

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2006年3月31日 (金) 03:12


コメント

えー!

その後の話はなかったのでしょうか?

まぁでも結婚に結びついてよかったよかったですよね。

でも、、、他にも実例あるのでしょうか。それは組織的なものなのか、渋谷エリアに限られているのか、知らせる意図は何なのか、キャッチなのか、お節介なのか、うずうずしちゃうのか、知りたいんですけど。

投稿 恵美花 | 2006/03/31 21:16:12

私も『渋谷』に助っ人で行った時に
西武の横あたりでつかまりました。
「今、転換期を迎えていらっしゃいます?」
とってもいいオーラが出ているので…と
確かにその年に結婚が決まりましたです。

投稿 ぎ | 2006/03/31 20:42:25


ごめんね。あるいは弱肉強食?

ringA_200「そんなことまでわかるの」って、よく言われるのが、俗に言う「あげまん」かそうでないか、ということ。誕生日から宿命図式を出すと、すぐにわかります。

私は、実感として、これはすごく当たると思っています。

そういう、夫を出世させる宿命を持っている妻に対して、夫が「妻のおかげでここまでこれた」という気持ちを持っているのが、実際に、よく伝わってくるからです。

先日も、互いに配偶者の運を持ち上げる運勢のご夫婦の、円満ぶりを目のあたりにして、「お幸せなことだなぁ」と、胸がいっぱいになりました。(そんなご夫婦に縁があり、何らか相談される機会を持つということは、私こそ大変な幸せ者と言わなければいけません。ですから大変気持ちが引き締まりました)。

しかし・・・、私自身はどうかと言えば、全く、あげまんではありません。はい。

それを知ったとき、そして、あげまん女房の立派さを目の当たりにしたとき、私が頭に浮かんだ言葉は、・・・「ごめんね」でした。

自分のことばかり主張してごめんね、認めてあげなくてごめんね、伸ばしてあげられなくてごめんね … そんな「ごめんね」です。

自分が夫の頭を押さえ込んでいるというのに、思うようになってくれない相手に不満を募らせていた……。もうずっと昔からの思い出をさかのぼりまくって、頭を抱えてしまいました^^;

それから私は、(これでも)やさしくなったと思います、最近では。一番身近にいる大切な人の運勢を押さえ込んでどうするんだ、と考えるようになったので。持ち上げることは無理でも、少なくとも邪魔しないようにしよう、と^^;;

宿命って、そんなふうに受け入れると、人間関係なめらかになって、うんと暮らしやすくなります。「あの人のほうが、優れた星を持っててうらやましい~」とか考えると、だめだめですよ。

しかし、そこは弱肉強食が世の習い。たとえ大切な人であろうと、相手が、同じく私を決して持ち上げてくれない運勢!だと知った日には、「なるべく邪魔されないようにせねば」と、身構える気持ちも強くなりました^^;;; 親しき仲にもなんとやら。戦いの毎日です。??

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2006年3月27日 (月) 19:26


そのひとの器

bouquet03B_400先日、アロマライトをある店で買いました。

お香が好きで、さまざまな種類を楽しんでいたのですが、エッセンシャルオイルは自宅で使ったことがなかったんです。でも、アロマのお店や、渋谷で鑑定させてもらっているisola BELLAで漂う芳香がたまらず、やっぱり家でも…ということになりました。

ファン式のもののほうが、香りが広く拡散するのですが、節約してライトにしました。キャンドルだと、粗忽な私は火事を出す恐れが100%ないと言い切れないので…; やはりライトがいいと。

それで、お店のレジで買う段階になって、それまで、初心者の私に、あれこれオイルや書籍の相談にのってくれていた店員の方が、最終的に、アロマライトの使い方を(器にお湯を半分程いれて…と)、私に教えていたときでした。

隣にいた先輩格の方と思えるスタッフが、「それは直にオイルを入れてください。お湯を入れると香りが薄いですから」と、突然、ピシャッと、店員さんの笑顔をさえぎるように、言われたのです。

訂正すること自体は、(正しく教えてもらわないと困りますから)、いいんですが、その口調が、あまりにも、店員さんの存在を無視したような言い方で、驚きました。

店員さんも、一瞬、顔がこわばり、愛想笑いをされて、「…だということです。ごめんなさい」などとモゴモゴ。

訂正した方は、店長さんクラスの方だったようです。

でも、それなら、なおさら。もっと、言い方があるだろうと、私は感じました。

人の前で不要な恥をかかすことは、してはいけないことです。それをするかしないかで、その人の器がわかります。小さいなりにも組織の上に立つ人が、これでは・・・

「できていないリーダーだ」と、思います。リーダーができていないということは、どこかが歪んでいる証拠です。今までいだいていた「専門的で品のよい店」という印象も、ふっとんでしまいます。

同じ訂正するのでも、場の雰囲気が緊張しないように、やんわりと訂正して、客が帰ったあとに、怒るなり?!、指導するなりすれば、済むことです。店員のメンツをつぶして、店員を落ち込ませたり恨みをかって、店に何のメリットがあるのでしょう。

素敵な香りにいつも囲まれていて、効能も高いといわれているアロマの専門家なのに。あんな物言いをするのでは、幸せそうとは言えない。

ちょっぴり、目が覚めた思いです^^ 効能に期待しすぎちゃだめかな、と。

今、自室には、アロマライトから立ち上るフランキンセンスの微香が広がり、大変穏やかな気持ちになってパソコンに向かっています。やっぱり、香りはいいなぁ~。 ・・・だからこそ、なんとも残念と思えた出来事でした。

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2006年3月26日 (日) 20:58


手相教室をはじめます

heartB_400 今日は、鑑定を離れて、お客様の可愛い女性と、薄曇りの街をお散歩していました。

あっという間のような気がするけれど、いつのまにか、長い時間がたっていましたね。出会って間もない頃の様子、それからいろいろあって…いろんな顔を思い出しながら、今日のあなたを見ていました。

いつにも増してかわいかったです。笑。かわいくいるのも大変なのかもしれないけれど。

・・・毒を抜きすぎてはいけません。(しつこいね)。ちょっと毒素の感じられるあなたがいいと私は思います。

ご縁があっても、私では力になれない人もいる。あなたにとっても、私は、ただ「占いのセンセイ」ってだけの、車窓の外から手を振っている見送り客のような存在かもしれないのです、ほんとうは。

けれど、きれいごとなのはわかっているけれど、しあわせになってほしいなと自然に願う気持ちに偽りはなく。 必ずしあわせになるあなたに恥じないしあわせな「センセイ」でいたいと、心から思いました。

雲は晴れず、すっきりとはいかなくても、今日とは違うあしたが来ます。あしたはしあわせな顔が見たい。一生、きれいごとを言い続けられる強い私でいたいと、思いました。



4月からは、ご近所の会議室を借りて、手相教室をはじめることにしました。月3回~4回。6ヶ月を目標に、手相を鑑定できるようになっていただきます。

手相を皮切りに、運命学に触れてみたい方は、どうぞ、お気軽においでください。ただし、このブログのイメージよりもちょっとだけ、教え方は厳しいかもしれません^^;

詳しくは、本サイト「仙乙恵美花の占いごとemi-ka.com」のインフォメーションにあります。新しい出会いを楽しみにしつつ、春。

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2006年3月24日 (金) 23:15


好きな言葉

leaf02B_300私が、算命学という中国由来の占星術を深く学ぼうと思ったのは、この学問を日本で広められた故・高尾義政先生の考え方に、ひかれるところがあったからです。

例えば、このような言葉を読んで・・・

「占いの学問は人間個人が清も濁ものみ込み、現世の事象を広い視野で受け止める心を作ることにあるのです」(「天冲殺宿命編」算命出版)

占いによって一喜一憂、右往左往させられるのではなく、運命学の考え方を学ぶことで、社会の成り立ちの仕組みを知り、その構成要因である自分の人生を、受け止めることができる。運命学に親しむことで、何事にも対処可能な、柔軟で強いこころを育むことができる・・・と、理解しました。

・・・ですが、学問的なことばかりまくしたてて、相談に来られた方の実際の役に立たないようでは、占い師として失格。 運命学だけでなく、広い分野において、信頼を受けるに値する勉強、経験をさらに積んでいかなければと、ますます身を引き締めるこのごろです。

カタイものからヤワラカイものまで、法律から下ネタまで、日本からマダガスカルまで??…  及ばない範囲は、お客様から教えてもらってます、実は。(また書かなければよいことを書いてます)

本日の渋谷isola BELLAでの鑑定は、通常通り 12:00~19:00です。お待ちしてます。

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2006年3月23日 (木) 04:17


カード、この親密なるもの

waterA_200易やカードが好きな理由は、内省を促してくれるから。

私は、決断すると後に引かない性格。と言えば、聞こえはいいのですが、「こんな人はいやだ」と思うとバッサバッサと切り捨てて^^ 「こんなところはもういやだ」と思えば、まわりからどんなに止められてもサッサと脱退してしまうような・・・

いさぎよいというのを通り越して、少々、あきらめがよすぎるような、そんな傾向が強かった。損得も考えないし、粘らないんですね。

ですが、易やカードのように、リクツではない占いに接してから、変わってきました。

「やめるぞ」と思っても、カードが「向かっていきなさい」とか「今はダメ」と出れば、「えー…うそぉ」と困惑しながらも、「・・・そうね。もう少し様子をみてから決めよう、かな」と、考えるように、やっと(!)なりました。人の言うことは聞けなくても^^; カードの言うことには不思議と耳を傾けられます。

考えているうちに、確かに、状況も変わります。自分も落ち着いてきます。

「時間が解決する」という、若い頃には絶対に受け入れられなかったことも、ようやく肌に染み入るように実感できてきました。

「もう、この関係はだめだ」と思いつめても、カードを引けば、「節度を保っていけばいい」と出ることもある。冷静になれます。

逆に、のろくさしていると、「いそいで解決。命がけだ」とハッパをかけられる。

カードの言うなりに動いているわけではなく、決断はしたが何かひっかかりがあるようなときに、易やカードは、大変いい相談相手になってくれます。

悪い結果が出ると、正直なところ、ガクッと来るけれど、「はいはい、欲を出さずにやることやります」なんて、カードに答えている自分がいます。

占いといっても、いろいろ。統計学に基づいた科学的な??占いしか信じない!って人も、易やカードで、また運命学の奥行きが広がると信じます。

カードは、きれいなものがいろいろありますから、好きな絵を選ぶようにして手に入れると、愛着がわきます。いつもグチを聞いてくれる友達のようにね。

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2006年3月20日 (月) 16:26


ときどき泣いてる占い師

060308_165554_Mメール鑑定に時間がかかって目が痛くなっても、対面鑑定でムキになってツバが飛んで恥ずかしい思いをしても(…)、鑑定はおもしろい。

おもしろいなんて、言ってはいけないのですが、何がおもしろいかって言うと、同じ日に鑑定を申し込んでくる人は、同じ月生まれの人だったり、似たような星の配列を持っていたり、必ずと言っていいほど、関連があるのです。

それに、私の星とも、どこかしら、関連性があることが多いのです。メールで申し込んでくる人なんて特に、バッチリ関わりがありますね。・・・そうでもなかったら、わざわざ見知らぬ私にメールをくれるということもないのでしょうね。

どれだけ数を見ていると言っても、いつでも、「おおっぅ!」と感動してしまいます。

鑑定しているうちに「あら、これは、さっきの人に書いた(言った)ことと同じでは。デジャブ? いや、星が似てるんだ」と、混乱することも。(おいおい)

人の引き付けあう気、流れというものは、ほんとうに不思議です。

不思議で、不思議で・・・、そんなことを考えると、私は、ときどき、涙が出そうになるのです。…? おかしな人です。

それは、普段の、今までの生活の中でも、言えることです。出会いの意味・・・。

占いの仕事をしはじめてから、これまでの縁や出会いの大切さに、感謝の念を覚えるようになりました。

出会えたこと、触れ合えたことに、感謝して・・・。

今日はおかしなまま終わります。

(メールにリキ入れすぎて目が痛くって^^;)

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2006年3月18日 (土) 23:49


コメント

ぎchanとの出会いが懐かしく思い出されないうちに、お顔を見たいものです。

&馬力のあるあなたに助けられて(??)、また一緒にお仕事する機会があればなぁと思います。

投稿 恵美花 | 2006/03/19 23:10:11

赤月さん、ほんとに出会いって素敵だと思います。

…哀しかった出会いにも、今では感謝の気持ちです。懐かしく、思い出します。 でも、時間がかかったものだなぁとも思います^^

イライラする出会いもあります^^;;;
今日も実はちょっぴりイライラしました;;;

でも、きっと、懐かしくまた思い出されるときがくるだろうな、と、既に思っていたりします。

投稿 恵美花 | 2006/03/19 23:02:46

私も恵美花さんとの出逢いがあって、
この仕事に就く決意を固めたのでした。
多謝  

投稿 ぎ | 2006/03/19 20:07:48

すてきだわ~☆
出逢いって。。。

私は人生の転換期にあるようです。
ブログ読んで恵美花さんももしや??って想っていました^^
あと、シーソーゲームの記事にドキッとしていたのですが、やはりそうだったんだと。

ぷぷっ。
これくらいにしておきます(^^♪

投稿 赤月るい


もてるにはインパクト?

060308_170545_M今日は不思議なことがありました。

渋谷の鑑定場所isola BELLAへ急いで向かう途中、 ある女性とすれ違うときに、「ハッ」という気配を感じたのです。

「ハッ」という音が聞こえるぐらいのインパクトがあったので、ふり返ってみると、相手も、ふり返って見ています。先を急ごうと思うのですが、なんだか気にかかって、またふり返ると、相手も、遠くのほうから、またふり返っている。

うーん。相手は女性で、きちんとした身なり、きりっとした顔つき。小首をかしげて思案している様子。どこかで会った人なのだろうか。前のお客様かなぁ…。なんだろう~。じぃっと私が見ていたら、相手は遠くから戻ってきて、開口一番

「いま、転換期を迎えていらっしゃいますか」と言ったのです。

・・・・・・・・( ヤバイひとだ!!

と、思いました(そう言う自分はどうなの?という質問は無視して…)。

ですが、いやな気配は相手から伝わってこないし、「手相の勉強をしているんです」とにじり寄ってこられる類の人とは違います。好奇心が湧いて、お話してみました。

ひとお「どうしてそんなことをおっしゃるんですか」

彼女「転換期を迎えている人の気がすごく出ていたので」

ひとお「まあ…。寝不足でボーっとしているんですけど」

彼女「いえ、そういうことではありません」

ひとお「何か、…そういうご職業ですか」

彼女「占い師です」

ひとお「まあ!霊感がおありになるんですか」

彼女「いえ、そういうこととは…。でも、すごく感じるものがあったから」

ひとお「それだけを伝えるために? 転換期って、よいほうへですか、悪いほうですか」

彼女「うーん。いま、チャンスをつかみとらないといけません。逃がさないように」

ひとお「どちらで鑑定してらっしゃるんですか。お話もっと聞きたいけど時間がありません」

彼女「私もこれから約束が」

…というわけで、彼女から名刺をもらって、私も自分の鑑定所へ向かいました。私から言い出さなければ、彼女は名刺を出さなかったでしょう。客引きとも思えませんが、もし、客引きだとしたら、高度すぎて、とても私には真似できないことです^^

それに、彼女のおかげでバチッと目が覚め、私も、新しいお客様たちを今日は迎えることができました。運気が動いたかな。彼女に感謝します。

・・・ちょうど、親しいひとたちと「インパクト」について話していたのです。

人気が出るには、もてるには、「インパクト」が必要だと。例えば「なんだ、あの服装はぁ~」と陰口を叩かれても、相手の心に、錨(いかり)をズシっと投げ込むことが必要なのです。それが引力となって、相手をひきつけます。注意をひかないことには始まりません。

気安い関係は、引力に結びつきにくい。例えば「いつもならこういう行動をとるのに今日はどうしたんだ?変だ」と思わせることが、引力なのです。引力とは、相手を叩くことから生じます。相手の言いなりになってはだめなのです。反発しすぎも、反発自体がいつもの行動であればインパクトがないからだめです。

恋愛関係に限ったことではありません。

引力と金運は、同じ土性(引力本能)の管轄です。人気が出れば、お金が集まります。お金を集めるには、インパクトが必要だということになります。

そういう意味で、今日の彼女は、お金をつかむ人と言えるでしょうね。

体験学習。

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2006年3月16日 (木) 22:45


脱名文のススメ?

060312_133153_Mもくもく、もくもくと鑑定用の資料を作っております。もくもく、もくもく… ちょっと煙が出てきています。私はすべて手作業です、自慢になりませんが。

メール鑑定の作業(あえて作業と呼ばせていただきます)をしていて思うことは、やはり、文章で、正確な情報と微妙なニュアンス、親身な気持ちをゼンブ伝えるのは、難しいものだな、ということです。(え、いまさら?ですって。ごめんなさい^^;)

対面鑑定よりも、言い直しや、受け答えのない分、気が抜けないというか。実際に会って話していれば、必要とされる部分だけ答えられるので、相手も納得しやすいでしょうが、文章だと、あれもこれも調べなくちゃ書かなくちゃ、あれ?この言い回しは文法的に合ってたかしら、なんてことになってきて、もくもく煙が出てきます^^ その割に、お客様の反応がもうひとつわからない。その前に、終わらない!

盛り込めばいいってものではない!脱名文!はやく!

以前、コンピュータを使った通信鑑定(郵送でのやりとり)のお手伝いをしたことがあって、それは、システムを作る最初は大変な労力がいったかもしれませんが、できたらあとはほとんど機械作業。量がこなせて、お客様を待たせないし、それで充分な人には充分なわけですが、その時から、どうせなら、一人一人違う、もう少し融通性のある、お手紙のような通信鑑定をしたいと考えていたのです。

難しいことですが、回を重ねて工夫し、少しでも伝わりやすい形に、と思います。要望があれば伝えてください。そして誤字があっても許してください(?! なんと言い訳のためだった今日のコラム?)

それから、チャット鑑定など”ネットでリアル”みたいなものは、私はどうも苦手~と敬遠していましたが、お客様にとってはいいのかもしれませんね。

・・・写真のランは、二週間前にいただいたもので、丈夫に咲き続けて、室内を華やいだ雰囲気にしてくれています。贈ってくださった方、ありがとう。見るたびに思い出しちゃいますよ。

植物は、放っておいてもなかなか枯れないのと、虫を防いで暑さ寒さを防いで…と、過保護にしないとだめなのと、いろいろですよね。先日の寒さで、哀れな姿になった庭の鉢植えも幾つか…(ソレハ愛が足らなかったせい、です)

やっぱり、ひとつひとつに違うフォローが必要なんですよね。

ランの花が終わっても、うまく手当てすれば、また来年、花が咲くそうですね。私は、去年、枯らしてしまったので、上手なやり方を知っている方がいたら、ぜひ教えてください。

本日の渋谷isola BELLAでの鑑定は、ちょっと遅れて 13:30~です。お待ちしてます。

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2006年3月16日 (木) 02:54


多面体でみる

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本サイトのウィークリー・メッセージの更新、これからです。占いは済んでいるのですが、書くのが遅れがち。がんばらなくちゃ^^

今週は易のカードを使ったのですが、東洋のカードでも西洋のカードでも、扱っていると、同じ感覚がしみてきます。

何がと言うとそれは、…と、もったいつけるほどのことでもないのですが、凶運のカードの裏には明るいカードも潜んでいるなぁ、ということ。

カードの扱い方は占い師によって違いがありますが、最初の5、6枚は開かず別に取り分けてから、次のカードを開いて意味を問うというのがオーソドックス。

もちろん、オープンしたカードが重要なわけだけれど。「剣の10」とか、易なら「水山蹇」といった不運のカードが出て、つい「あちゃ~」と声をあげそうになっても、裏に隠れた数枚を調べてみると、「魔術師」や「スター」や「カップの1」や、易なら「火地晋」とか「風山漸」といった、希望の持てるカードが混ざっている。また、ケンカや駆け引きを表すカードも混じっている。

「ほんとに、そうだよな」って、思うんです。

一見、八方ふさがりの絶体絶命と思える状況だって、そのまま絶対に変わらないということは言い切れない。逆に、どんな幸福だって、永遠の保証はありませんよね。また、ふだんの生活というものは、うまくいかないことがあったり、また希望を持てることがあったり、痴話げんかもあったり、いろんな要素が入り混じって、流れていっている。

今、目に見える現象の一面だけを見て、失望していませんか。

隠れたカードを裏返すチャンスを、みずから放棄していませんか。

・・・このところ、私までかなしくなるような相談に接することが多いせいか、願うような気持ちで、カードを切りませながら、そんなことを考えたのでした。

視野をひろくもってください。今はそれが無理でも、たとえば三ヶ月後にはできるかもしれないのです。

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2006年3月14日 (火) 01:54


愛がなけりゃ

短かーい感情線行楽日和、お洗濯・布団干し日和の一日でしたね。

本サイト占いごと emi-ka.com」の手相の頁に、感情線についての説明を載せました。愛情の強さや淡白さ、嫉妬深さなどがわかります。下記URLが近道です。

http://emi-ka.com/sub1/sub2/love.htm

感情線で、自分の愛情タイプがわかったら、次に、ぜひやってほしいのは、好きな人や気になる相手、家族の感情線と比べてみることです!

自分の愛情タイプと、相手の愛情タイプの違いを理解することで、不安、不満、嫉妬、疑心暗鬼が、多少、軽減されると思います。

愛情エネルギーをわずかしか持たない相手(上の図のような短い感情線の持ち主)に、「もっと気をつかって」と願っても無理なのですし、「愛されてないのかしら」という心配は無用なのです。だって、エネルギーが、ないんですから! 複雑な愛情の機微というものが、わからないんです。

あきらめも、また、愛!?  いいえ、相手を本当に知って受け入れるということが、愛につながります・・・。

ものはためしで、相手の感情線の長さを計測してみることを、オススメいたします。

手相を見て、手にふれて・・・。(ですがセクハラには注意して)。いつでもちょっぴりの刺激が、もともと別々の人間が融合していくには必要かと。

手には、不思議な力がありますよ。

今日は、手短かに。with love

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2006年3月11日 (土) 21:29


信号・対処・あの世と自分

060308_165844_M雨降りの金曜日。

街ゆく人の服装を見ても、厚いコートの人、軽々と薄着の人、いろいろですね。 気持ちは春本番へと向かっていますが、まだ体がついていってません。調子を崩しやすいときですので、風邪予防怠りなく、気をつけていきましょうね。

昨日は、渋谷のisola BELLAで、甜茶をたっぷりいただきました。どうやら、花粉症様が、いよいよ私の体内でも稼動しはじめたようなのです。「今のうちに、甜茶で流して、流して」って、isolaの店長さん(花粉症の先輩^^)から、鼻のかみ方などの逆アドバイスを受けておりました。

ヤンキースの松井選手が「鼻を取り替えたい」と言う感覚も、わかってきてしまいました。思春期の頃、クラスメートにかなり遅れて生理がはじまったときの戸惑いと喜びが・・・ありませんって!

他に、私が所有する不快なアレルギーは、金属系。イヤリングやネックレスを地肌に長時間つけていると、皮膚がほころびてきます。 理由がわからないとき、ただれるままにしていて「エレファントマン」と呼ばれたことも・・・。だからピアスはできません。猫アレルギーの友人は、我が家へ来るとティッシュの使用量がばかになりませんし、そばアレルギーの友人は枕投げに参加できません(?! 命に関わるそうです)

でも、「もうこれ以上受け付けません」と、からだが信号を出してくれているわけですよね。この信号機能がないままに、アレルギー物質をからだに取り入れていったら…と想像するとおそろしい。アレルギーは煩わしいものだけれど、信号がなくなるほうがもっと怖いと感じます。

・・・ 信号を嘆かないでください。

なにか、不快で不本意なことが起こったときに、「絶望する」か、「対処する」かで、人は、大きく分かれますね。

絶望の下降エレベーターのスピードは急であり、対処の階段はゆるやかなものです。

どういうわけか、人は、急激なものを選びやすいのです。まるで自分を無くそうと急ぐように・・・ 

これは、過剰にエネルギー消費する人間が増え過ぎないようにという、地球の仕組みなのでしょうか?

アレルギーの話は例えであって、もっと深刻なことがありますね。でも、下降エレベーターに乗り込んでしまった人でも、戻ってくる人と、戻れない人がいる。 その違いはどこにあるのでしょう。

また、戻らない人の、この世での役割は何なのか。そんなことを、お客様と話すことがあります。

急逝した友人が何人かいます。 さみしく亡くなった人は、あの世でもさみしいのだと聞いて、私は、かなしいのです。

今の私なら、もっと違うことを言ったりしたりしてあげられたのに。私は、自身のことではまず後悔しませんが、亡くなっていった人たちにだけは後悔があります。彼らの死が、今の私へつながる信号だと考えるのは、おごりすぎている。彼らの信号に「対処」しないといけなかった。彼らの身近な人たちも、いいや、彼ら自身も「対処」してほしかった。

けれど…、亡くなった人たちは、生きていたとき以上に、私の脳裏に存在を増して住みついていて、消えるということがありません。だから、彼らは、やはり、生きているとき、言わなかったけど、とてもさみしかったんだなぁ、と、思えるのです。

おかしな話になってしまいましたね。

日が暮れてきて・・・。夕暮れ前の西の空、かすかに赤みが射していました。

上の写真は、GOLDEN DAWNタロット「隠者」のカード。隠者:瞑想、内省、精神的な愛、理解、助言者、研究、孤独、準備、結婚・・・ 私がよく引くカードのひとつです。 恐れの場所の「悪魔」(!…束縛、誘惑、欲望、疑惑、セックス、不健全、不必要な罪悪感、責任)とコンビで出てきます。(書かないほうがよかったかも? 悪人ではないつもりですが)

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2006年3月10日 (金) 18:15


カードに言われちゃしょうがない

dawn神秘十字線の続きですが、お神楽や歌舞伎など、伝統芸能好きな人たちの手のひらにも、よく現われています。

本人が意識する、しないにかかわらず、ご先祖が神秘十字のラインにのせて、メッセージを送ってきているのです。

受け継がれていくことがあるのだと。あなたには、お役目があるのだと。だから、簡単には死なせませんよ、というわけで、悪運強い。

「トラックと3回ぶつかったけどだいじょぶだった」と、ケロリとおっしゃるおじさまも、お役目があって生かされているはずなのです。子供や孫、近所や職場や知り合いの若い人たちに、何か伝えていくような役割、かもしれません。でも、いくら運強いといっても、4回も5回もぶつかるのは避けていただきたいですけれど。 ご先祖も、面倒みきれませんから・・・。

・・・さて、昨年11月から、このブログと本サイトを試行錯誤しながら更新しているわけですが、思わぬ人に見つかって^^ 途切れていた縁がつながったり、それがきっかけで愉しい企画を教えてもらったり…ということが、増えてきました。 

運命学の勉強を進めていると、正直なところ、面白いばかりではなくて、親の死が自分の出生と関わることだと知って哀しみを新たにしたり、自分の宿命に、ないものねだり感を覚えて停滞したり(?)、お客様の気持ちを思ってすっきりしないようなときもあります。

けれど、好きなことで動いていれば、必ず、新しい関わりがあって、(なぜ出会ったのだろう?)という謎が、また、私を運命学の面白いエリアへ押し戻してくれます。

そして今日もまた、つい夢中で調べものをして時間が過ぎて・・・ ふと、めくった易占タロットは、「山雷頤」。 「今日はろくに食べてないでしょ。ちゃんとバランスよく食べるのが先決。ちゃんと生活考えてんの?」って・・・ 人から言われても効果ないのですが、カードに言われちゃしょうがない。今夜は、豆腐の肉詰めあんかけにいたしました。

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2006年3月 8日 (水) 23:41


神秘十字の引き寄せる運、不運

appleC_small「神秘十字線」・・・

いかにも占いらしく、ミステリアスな響きがあると思いませんか。

手のひらの、知能線(頭脳線)と感情線の間に出ている十字架のような線を、「神秘十字」と、そう呼んでいます。

直感力が鋭い、霊感が働く、先祖の加護がある、信仰心が強い、命拾いするなどの意味合いを持ったシルシです。

ありますか?

何度も命拾いしたようなひとの手には、はっきりと現れていることが多いのです。

霊感につながりますので、占い師、宗教家が持つといいとされています。

また、私が実際に見たところでは、学校の先生や、職場で部下や後輩を教え導く役回りの人にも、多く現れています。

慈愛のこころとか、教えてあげようという「してあげる」エネルギーを表しているといえます。

ときどき、おせっかいが過ぎて、わずらわしがられるひともいます。

親切と、おせっかいは紙一重?

私も気をつけなければいけません。鑑定時に、言葉がくどくなることがあるので。でも、気をつけすぎてわきまえすぎて、「そっけない」と思われていることもあるかもしれません。バランスってむずかしいですね^^

基本は、熱血です(笑)。

「神秘十字線」は、強い運命線とクロスするため、運強いと言える、持っていてオトクな手相に分類できると思うのですが、鑑定していると、ときどき、「神秘十字線」を持っている人で、「なんで私だけが」と思うような人間関係のトラブルにまきこまれている人に出会います。

近所の中で、その人の家だけが隣家からいやがらせをされるとか、グループの中でその人だけが、ある人からいじわるをされるとか・・・

不運なのです。

どうしてだろう、「神秘十字」はお守り的なのに、不思議だなと、最初は思っていましたが、原因は、この方々の、運強さや、面倒見のよさにあると、思えてきました。

自分が運強いと思っているひとは、いらぬ動きを(そう言ってしまうのは不本意なのですが)してしまいます。 なんとなく自分は大丈夫という意識があるから、まわりの人たちが敬遠しているような人にでも、気軽に話しかけたり仲良くしようとしたりする。無用心なのです。

「最初は仲よくしてたのに」と、多くの人は言うのです。

グループの和から隔たって暮らしているような、ちょっと変わった人の何かのスイッチを、「神秘十字」の持ち主は、入れてしまうようですよ。

自分に(珍しく)関心を持ってもらったということが、問題を抱えてひねこびた人の心には、プラスには働かない様子なのです。プラスとマイナスで、マイナス現象になってしまうのでしょう。

今日は、「神秘十字」の引き寄せる運、不運ということを書いてみました。正確には、不運というより、現象としての災いを呼んでしまったということですが。不運ではないです、神秘十字は。

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2006年3月 6日 (月) 17:15


シーソーゲームは恋だけでなく

waterA_200運命学の勉強をしていて、興味を深く覚えたことのひとつに「運のシーソーゲーム」という言葉があります。

たとえば、親と子のシーソーゲーム。

宿命的に、親を乗り越えるべく生まれた子供が、実際には、いつまでも親離れせず過保護に育てられていると、その子供は、本来の自分を生きることができず、希望する学校へ進学できなかったり、仕事についてもすぐにやめたり、体が弱かったりするのです。

どうして、と、親は、嘆きますが、その子供が、いわばダメなおかげで、親の金運や名誉運が保たれている場合があるということ。

子供がダメだから、親が老後のために貯蓄をしておかなければと貯め込み、健康や近所づきあいなどに頑張って気を配れば配るほど、子供はダメになっていく場合があるということ。死刑の確定した宮崎勤は典型例です。

あるとき、それまでダメだった子供が、運気の変わり目に、一流企業に入社した。親は「万々歳」、やっとこれで安心できる…はずが、精神状態がすぐれなくなり、夫婦の間がおかしくなってしまう。やっと子供が健康になったと喜んでいたら、親のほうは降格、リストラの憂き目にあう。・・・ どちらが幸せなんでしょう。

この例は、宿命的に親を超えるべき子供に限って言えることなのですが、算命学では、子供のほうをいかすように、と、教えています。

というのは、親を超えるべき子供というものは、親自身が何らかのエゴを通して結婚したとか先祖を裏切る生き方をしたとか、親の行いの結果、生まれてくるとされているからです。自分が勝手をしたから、子供も、自分勝手な子として生まれてくるのです。

けれども、自分勝手な子供は、親から離れて世間でもまれれば、エゴを克服して、世の中をリードしていく人間になれる可能性が大きい。

だから、親は、ちいさな自分を捨てて、子供をいかせ、と、されています。

なかなか(私にとっては大変に)むずかしいことだと感じられるのですが、この「シーソーゲーム」というとらえ方は、他のことを考える場合にも大変参考になりました。

例えば、私には、健康がある、食べていくに困らないぐらいのお金もある、家族仲も悪くないという人がいて、あとは、名誉だけが足りない、この世で生きたに値する名誉、名声が足りない足りないと、足りないことばかり見はじめたとしたら…。そして、ある時、ポンと大昇格とか、大抜擢され世間の注目を集めることで、その人の許容量みたいなものを超えてしまい、お役目が終わって急逝、ということがあり得ます。この場合は、その人の運勢そのものの中でのシーソーゲーム。

夫婦の運も、シーソーゲームです。だめな夫や悪妻のおかげで、案外、自分の運は上がっているのかもしれません。

運が上がることと、精神的満足感とは別のことです。(だからあきらめろとは言いませんが^^)

縁とは、運命とは、こわいことだな、おもしろいものだなと、思えるのです。

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2006年3月 5日 (日) 18:07


出会いとさよなら

060228ring2今週の木曜日は、渋谷のisola BELLAで懐かしい方々にお会いしました。2人はドッキリ遭遇。1人は突然、お電話いただいて。うれしかったな。

isola BELLAのオーナー、Iさんも、いろいろと経験のある方で、世間話をしているだけでも、出会いや運命の不思議を感じられ、愉しいのです。そういう人がオーナーだと、集まる方々も、ひと癖ある?!ひとが多く。 これからどんな道をたどっていかれるのか、見ていきたいものだなぁと思わせられます。

「地方出身なので渋谷は苦手」なんて言う知人もいるのですが、バリバリの?地方出身者であるわたくしは、渋谷には縁を感じます。新宿あたりよりも、親近感のある街です。夜遊びスポットは、全然詳しくないのですが。

渋谷で、公私ともに、どれだけの人に会ったか、待ち合わせしたか、わからない。

ハチ公前の交差点で信号待ちするたびに、あのときの、瞬間瞬間がよみがえります。道玄坂も思い出深く(笑)。

今、鑑定したりご紹介いただいたりしているお客様のほとんどが、公園通りの渋谷店に勤務していたときのご縁です。(続いては、横浜の赤レンガ倉庫店にいたときのお客様)。

新しい出会いを、また渋谷から。そう思って、愉しみに通っている木曜日です。

そして、金曜日は、近所の自由が丘グリーンフラスコでハーブを調達。ハーブとアロマのこのお店は、4月に今の場所(サンクスネイチャー2階)から、自由が丘南口へ移転するそうです。ちょっぴり駅から近くなります。

グリーンフラスコで買った「解毒のためのブレンドティー 新月」(どくだみ、アーティチョーク、ローズマリー、ベルベーヌ)を飲んで眠ったら、そのせいというわけでもないのでしょうが、懐かしい夢をみました。 …あの時代は、どんな意味を持っていたのか、私にとって、あなたにとって…。 かわらぬ穏やかな口調の飾らぬひと。 ずいぶん前にさよならしたその人に、もう一度、夢のなかで別れを告げました。

今日は、つれづれなるままに。

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2006年3月 4日 (土) 23:30


出会いの不思議

hand2111手相を、初めてみてもらったのは、25、6歳の頃です。

社会へ出る年に母を亡くしてから、世間的には恵まれた状況にあったのですが、どうやっても心の平穏を保てなかった。身内の災難も続き、自然と運命について意識するようになったのですが、わけのわからない偉そうな人?から変なことを言われるのがいやなので、人から占ってもらったことはありませんでした。

とある商社の社食で、ひとりでご飯を食べていたときのこと・・・ 向かいの席に座った中国人ビジネスマンが、突然、話しかけてきたのです。 独学で手相を学び、自分の手相には「敵は多いがトップに立つ才能がある」ことを確信して、日本へビジネス留学にきた、と言うのです。

「はぁ…」と、うなずく私の手を出させ、そして勝手に見始めたのです。ナンパではありません、連絡先も聞かれなかったし、手も触られなかったし^^ ちょっと人恋しいのはあったかもしれませんけどネ。

指摘された多くの点で、納得がいきました。私は、どうして手相で、性格などがわかるのだろう、と、疑問と興味と大いなる不信感が(だってどうして?って)わきました。(不信は発見の父カモです。鵜呑みだと案外、つづかない。)

将来、私こそがわけのわからない?占い師になるとは、夢にも思いませんでしたが。

ただ、そのときに、「災難が多いが運強い」と言われたことが(簡単なポイントなのですが)、その後の、確かに災難多かった自分を支えてくれたようです。 何かを乗り越えるたびに、そのひと言を、だんだんと思い出すようになりました。

そして、彼、「お弁当作らないね」と顔をしかめられたりはしましたが^^、けなすようなことはひと言も言わず。 今、思えば、よい「占い師」さんだったのです。

最初の「占い師」との出会いがひどければ、占いや運命学を勉強してみようなんて考えなかったでしょう。 今の心の平穏も、まだまだ遠かったはず。 あの中国人、今は50歳ぐらいのはず。どうしているでしょう、「トップを突き進んでいますか~」と呼びかけたい気持ちです。 年を重ねるごとに、出会いの場面の印象が、鮮明になっていくのです。

2006年3月 1日 (水) 22:56


コメント

あみさん、こんばんは。

先生って、私のことですか? うれしいです。

いいひとでなくていいから(いくない?)、あみさんにとって、よい占い師でありたいと思っています。

投稿 恵美花 | 2006/03/02 23:44:12

わたしにとっての先生みたいな人ですね

投稿 あみ | 2006/03/02 0:50:47


やさしくあやうい魔

n_43午前3時半を回りました。しめったタイヤが道路をなめすような音が、窓の外から聞こえてきます。今日は、雨みたいですね。

午後からすこし、渋谷の「isola BELLA」に寄って鑑定します。

木曜日は、通常通り、12:00-19:00まで出ています。 ……と、書いていたら、isolaのたっぷりハーブティーが飲みたくなってきてしまいました。

この冬は、自宅でも、エキナセアとエルダーフラワーにペパーミントをまぜて、よく飲んでおりました。 効果の程度はわかりませんが、飲みだしてからは、風邪、インフルエンザ知らずで済みました。なによりオイシイ。 カフェイン中毒気味のコーヒー党なのですが、ハーブについてはもう少し知りたいなと思っています。

眠ってしまう前に、手相との出会いについて書こうと思っていたところ、睡魔が…

…「魔」って、あやしいけれども、ひかれる文字です。散漫なのは魔のせいにして、また、書きますね。

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2006年3月 1日 (水) 04:40


こどもの私に支えられて

yasiki幼児のころは、たいていは、みなしあわせでした。

お腹がすいたら食べる。お腹が満ちれば幸福なのです。 いきものの自然な姿です。

東洋の占いでは、そんなふうに、自然のままに、無理をなるべくしないで生きられればしあわせと、とらえることが多いのです。

無理をしないためには財も必要となりますが、自分をまげて無理を重ねて得た財ならば、しあわせにつながらないでしょう。お金は人を変えます。地位、名誉にしてもしかりです。

財を得たら得たで、「じゃぁその次は?」と、なりますが、その次のしあわせというものが得がたいのだなぁということを、多くの実例から実感しています。

60になっても、70になっても、自然に人間らしく生きていくということは結構むずかしいのだなぁと感じます。

逆に、自然に生きていられるひとは、どんなに財を得ても、地位、名誉を得たとしても、本質は、変わらないように見えます。

私自身は、幼児の頃は、今、ふりかえれば、かなしいことがたくさんありました。でも、当時は自分のことを不幸だなどと感じたことはなかった。好きなカレーが食べられたり、おみやげにお菓子をもらったりすれば、充分に幸福だった。

あの頃のような幸福感を、大人がふたたび得ることは可能だろうか? それができれば、本当にわずかなことに嘆いたり人をねたんだりすることも減るのでは? けれどそれは案外、難しいことなのかもしれないな、と、そんなことを最近、考えるのです。

・・・あなたは、子供のころのことを思い出すことがありますか? きっと、今でも、思い出の淵から、あなたに手をふっているはずですよ。

ときには、自分の中にいる子供と、会話をしてみてはいかがですか。

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2006年2月26日 (日) 18:48


コメント

赤月さん、
大変だったのですね。

そして、強運なのですね。
歓迎会できる日を楽しみに待ってます。

投稿 恵美花 | 2006/03/01 21:26:58

ありがとうございます!!

「近すぎる」。
それ分かります(>_<)
一回私は、人生を19歳で閉じてまして。
ICUから復活した次第です。
心はその時、赤ちゃんに戻ったとかなんとか…。
ちょっと暗くなってしまいましたが^_^;

恵美花さんの言葉、いつも心に沁みます☆
元気になって飛びまわれるようになった暁wには、逢いにゆきま~す♪

投稿 赤月 | 2006/03/01 14:26:27

赤月さん、こんばんは。

赤月さんの中の子供は、まだ距離が近すぎるのかもしれないですね。思い出の中に住むには、片付いていないことがあるのでしょうか。

3、4歳ぐらいの幼児でも、まだ近いのでしょうか。

いずれ、お話できればと思っています。手相は、確かに実際に見るのが一番です。写真にうまく写るといいのですが。

「けっこう遠い」って、ほんとに遠いですよね(笑)。そのアカツキには、赤月さんの鑑定料で赤月さん歓迎会をやらなくちゃ(←なに考えてるんだか^^;)

投稿 恵美花 | 2006/03/01 0:49:06

うーん。
私は子どもを想いすぎる。
思い出す程度でなく、その頃の気持ちを思い出すことがテーマくらいにこだわってしまってます。

それはそれで、とても生き難いときがあるのですが^_^;

今度、恵美花さんに占ってもらおうと。
渋谷行きを検討中の赤月です☆
けっこう遠いので、メールも考慮中で。
手相が自分では中々分からないー。
右と左も違いすぎー(>_<)

暖かくなったら、ぜひお会いしたいです♪

投稿 赤月 | 2006/02/28 14:55:13

山本しのぶさん、こんばんは。
読んでいてくださってありがとう。

楽しかったことばかり思い出されるというのは本当に幸せなことですね。とても幸せな方なのだなぁと思います。

子供の山本さんが、きっと今の山本さんの背中をいつもそっと支えていることだろうと思います。

投稿 恵美花 | 2006/02/26 20:06:32

恵美花さん、こちらでははじめまして。
テレ

子供の頃のわたしを思い出すと
楽しかったことばかり思い出されるので
それ自体が幸せなことと思います。

単純明快でおもしろかった。
あの日々のように
あっけらかんと生きられたらと
わたしも思うな。

心にしみるブログ、楽しみに読んでます。

投稿 山本しのぶ | 2006/02/26 19:32:29


暗い映画や音楽はだめなのか

n_18占いの世界では、陽(プラス)の気、陰(マイナス)の気ということをよく言います。あらゆる物を陽と陰に分けて説明していきます。

健康に、しあわせに生きるためには、マイナスの気を近づけず、プラスの気をそばにおくこと、なんてことが言われます。

確かに、そのとおりだと思います。黒い服に黒い靴、黒いバッグ…と黒づくめにしていたり、暗い音楽ばかり聴いていては、晴れ晴れした気持ちにはなりません。

ですが、私個人としては、もしも「しあわせになるために、陰のもの、陰の世界に近づかないのが一番」とアドバイスされたら、「そうでもない、少なくとも私は」と、答えてしまうかもしれません。

晴れ晴れした陽の世界と、自分とのあいだに、うまく融合できない境界線を感じるときには、明るい音楽や言葉は、しらじらしく、自分とは遠く感じられるかもしれません。

そんなとき、陰の世界の、音楽や絵や映画や本、闇の住人の言葉に、慰めを感じうることもあると、私は思うのです。慰めの必要な人には、慰めが必要なのです。

黒い色や冷たさ、苦難は、五行になおすと「水性」、北の場所、終わりの場所です。

傷ついたひとは終わりの場所で、内省します。異質の世界に言葉を閉ざしてひたりきり、充分に終わっていきます。終わりの次は、はじまりです。水性の次には、「木性」、東の世界が位置します。木性は、はじまりの場所。木性は、充分に癒されたあなたが再スタートするのを待っています。

大切なのは、陰の世界から、また戻ってくることなのです。

陰の気をまといすぎたままでは、なかなか前向きになれません。陰の気に慰められたら、感謝とともに、陽の世界へ帰ってきてほしい。そんなときに、上手に占いを利用してくれたらな、と、思っています。

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2006年2月24日 (金) 23:59


コメント

nanakoさん、こんばんは。

どうしましたか? ヤケはダメですよ^^

とりあえず解決しようなどと思わずに、気になっていることがらを、「私はこれを気にしているんだな」「私はこれも気になるんだな」と、ひとつひとつ整理してみては?

そのとき、常識とかに照らして自分を責めてはだめですよ。ただ、納得するだけ。
人のことは責めていいです(笑)。
自分は、いつでも自分の味方でいなくてはイケマセン。

お花見の季節もまた巡ってきます。かたい木の枝にも、ふたたびの開花を夢見てお花の赤ちゃんが眠っています。あなたの中の花の芽をつぶさないように・・・

また、お話しましょう。

投稿 恵美花 | 2006/02/26 19:11:40

今ちょうど陰の世界の真ん中にいる感じです(涙)無理に明るくしようとかジタバタしようとかは思わなくなったんですけど、代わりに溜まった気持ちを発散する方法がよく分からなくなってきてます^^;あー早く戻ってきたいです!!

投稿 nanako | 2006/02/25 0:40:11


木曜日は渋谷で鑑定中☆

明日、木曜日は、渋谷のブティック&カフェ「isola BELLA(イゾラベッラ)」で、鑑定を受け付けています。 手相は、やはり実際に拝見したいものです。

地図は⇒コチラ

時間は 13:00-19:00
通常鑑定より割引料金になっています

2006年2月22日 (水) 21:33


天中殺時期の出会いは?

heartA_400算命学でいう「天中殺」の時期は、誰にでも平等に、12年間に一度、2年連続で回ってくる年。細木さんのいう「大殺界」も「天中殺」に重なっています。

名前からして、しあわせそうといえない雰囲気がありますが、びくびくと萎縮している必要はありません。貴重な2年間なのですから。

ただ、普段の自分ならしないような判断、行動をしてしまうことが多いので、後悔のないように、大きな決断や変化は、天中殺が開けてからがよいとされているのです。

でも、この天中殺、おもしろい出会いに恵まれることもあります。普段の自分の価値観や判断力がズレてしまう分、いつもだったら仲良くなりそうにもない考え方の人、住む環境のまるで違うような人と、親しくなるということがあるのです。

本質的に合わない人とも仲良くなってしまうので、注意は必要なのですが、私が鑑定していて、おもしろいなと思うのは・・・  非常に年齢差のあるカップルや、男性が女性より年下のカップルの多くから、「天中殺につきあいはじめた」という話を聞くことです。

いつもなら周囲を気にしたり常識が先に立って、二の足を踏むひとでも、垣根がフッと低くなるというのか、自然とおつきあいがはじまります。一気に間が縮まってしまいます。

天中殺中の恋は続きにくいとか、開けてからひと波乱あるとされますが、年齢の違いや男女逆転、あるいは、住む世界の全然違う人や外国人との交際のように、変わった縁の場合は、災いは目立ちません。あまり気にしなくてよいのです。

逆に、ふだんとは違う自分だからこそ出会えた縁のひとと言えます。

そういう人たちであっても、長くつきあっていく間には、「あの時、まちがったのでは?!」と思うこともあるかもしれません。 でも、そんなときは、天中殺が与えてくれたプレゼントなのだと考えて、縁に感謝をしてくださいね。おしあわせに。

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2006年2月22日 (水) 21:19


コメント

色情刑とかいろいろ、運命学の用語はありますが、あまり言葉にとらわれないほうがいいと思いますよ。おどかすような言葉にふりまわされないでくださいね。

投稿 恵美花 | 2006/10/24 23:24:01

始めまして。私は色情因縁があるといわれたのですがそんな因縁はあるのでしょうか。

投稿 かばごん | 2006/10/24 19:27:51

きょうこさん、
報告ありがとうございました。

結婚の時期にあるきょうこさんのために、煮え切らない彼を、彼女が持っていってくれたのかもしれませんよ。こう言ってはなんですが、よい縁の訪れる印だと思えます。

投稿 恵美花 | 2006/04/10 0:51:47

昨日彼から電話がありました。
未だ彼女はいるものの私の事を気にはしてくれているのかもわからないので
なるべく早く忘れたいと思います。
ありがとうございました☆

投稿 きょうこ | 2006/04/07 1:05:46

メンテナンスで反映されていなかったので、もう一度送信しておきます

そこまでのことも書いてないのですが・・・

投稿 恵美花 | 2006/04/01 23:04:38

きょうこさん、はじめまして。

このブログ内で個々人のご相談にお答えすることはしていません。ごめんなさい。

子丑天冲殺の方は愛情深い方が多いですね。アバウトな寅卯天冲殺はそれにいつ気づくでしょうか。

自身の天冲殺に入る前の大事な時期に、ストレスを抱え込まないように注意していただきたいのです。そうしないと天冲殺でさらにもつれます。

投稿 恵美花 | 2006/04/01 2:30:00

こんにちわ
天中殺で検索していたらコチラのサイトへ辿り着きました。
私は子丑天中殺
彼は寅卯天中殺で彼は寅年生まれです
彼とは昨年11月に別れました。
理由は彼に好きな子が出来た事です。
彼女は申酉天中殺で
二人は昨年頭に知り合ったようです。
おっしゃる通り彼女と彼は10歳差です
昨年の12月より一緒に暮らしているようです
私は再来年から天中殺にはいりますので
今年彼と結婚したいのですが
彼は戻ってこないのでしょうか?

投稿 きょうこ | 2006/03/31 2:19:16


人間関係と星の化学変化

heart_miniE縁のある星の人が寄ってくるものです。

ある人を中心にした交友関係を、それぞれの生年月日から算命学の星を出して見ていくと、磁石のように引き付けられあっている相関図を描けるほどです。

自分と似た星の人=気心の知れた人、自分を助けてくれる星の人、自分が助けてあげる星の人、刺激を与え合う星の人、一緒にいなくてもいいのに離れられない腐れ縁の星などなど、、、

出会いには縁があり必ず意味があります。

いやだ気に入らないと感じる相手は、自分が生きていく上で何に一番こだわっているかということを気付かせてくれます。

でも、

「どうして、自分にはこんないやな人だめな人ばかり寄ってくるのだろう」

もしも、そう思っていたとしたら、深く関わらないことです。あたりまえ?

深くとは、心をとらわれる関係のことを言います。

近くにいても、心をとらわれなければ深くはない。

縁がある人と居て、心をとらわれるほど関わると、自分の星は化学変化を起こします。全く別物のようになったり、別の面が出てきたり、相手の星に影響されてしまうのです。

・・・これは、いい出会いの場合でも言えることなのですが、今はそれは置いておくとして。

不快な相手とは、距離を置ければ一番いいのですが、職場などで顔を合わせないではいられない場合であれば、「やつはやつ、私は私」と割り切らないと、自分のほうが変えられてしまう危険性があるのです。ダメージが残ります。

また、ひどい言い方かもしれませんが、自分と同レベルの人間が、まわりに寄ってくるものです。いやな人と同じ土俵で戦っていると、またまた似たようないやな人が寄ってくるから不思議です。

土俵から、すみやかに降りてください。

男運、女運、人間関係、出会いの悪さを嘆く前に、自分のレベルをあげてください。向上するということです。いやな相手の星から遠く走り去っていくのです。追いつかれないくらいに。グチっている暇はありません。

そして、また、見渡せば、自分を助けてくれる、持ち上げてくれる縁の人が、必ずまわりにいるはずなのです。彼らを見て! ひとりで抱え込まないで、力を貸してもらってください。

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2006年2月19日 (日) 23:41


コメント

赤月さん(レッドムーン…幻想的ですね。うさぎさんの目の色が映っているのかな)

貴重な読者だ(笑)ありがとう。
しゅくだいなど終わって、少しはのんびりされているのでしょうか?

今日はこちらは少しまた寒いのだけど
春はすぐそこですね。

落ち込んだり、壁に突き当たったりすることも、何かに気付くサインでありうるんですよね。

そんなとき、ダメージが「気付き」に移り変わるのを、私はゆっくり待つことにしています。

そういう話を何気なくできる方を貴重に思ってオリマス。こう言ってはなんですが、占いを仕事にしている者ほど、「気付き」からほど遠くなっていく人も少なくなく。私も気をつけなければと自戒しているのです。

いつか会えますように。

投稿 恵美花 | 2006/02/21 17:15:07

いつも読ませてもらってます☆
本当、ためになります。
しっくり来る、と言いますか。
その時の自分にぴったりなんですよ。

同じときを生きている…?というような、勝手に畏れ多いことを想ってしまいます^^

私はガーンと堕ちると、お告げのようなものを受けるのですが(巫女かっ。)

恵美花さんの「深く」の説明のところ、まさにそのまんまだったので、思わずコメント書いてしまいました。

本当、びっくりです!
いつかお会いしたいなァ(*^_^*)
では。

クリック、ぽちっ。

投稿 赤月 | 2006/02/21 12:52:55


うれしい驚き

n_01渋谷で以前務めていた店に、よく来てくれていたお客さまから、メールが届きました。

占いサイトを巡っていて、たまたま見つけたということ。名前も変わっているのに、よくわかったなぁと、大変嬉しく感じました。

私は記憶力が悪いので^^ 鑑定の最中は一生懸命でも、済めば忘れてしまうようなところがあります。二、三度鑑定しないと覚えていられないのです。お客様とある程度の距離を保てるように、回数が重ならないと名前も聞きません。ですから、何度か鑑定に来てくださった方でも、二度と会えないだろう人がたくさんいます。

フリーになってからは、お客さまの素性を詳しく知ることも多く、距離が近くなったと感じますが、占い師と客の関係は、はたしてどちらがいいのか、と思うこともあります。

でも、まあ、気にかけていたひとが元気でいるのを知るのは、占い云々抜きでうれしいものです。ものすごくうれしかった。

・・・そして、今日は、お友だち夫婦の家へ遊びに行って、結局、ご夫婦をせっせと占っていました。お客さまでなく、気心知れた知人だと、逆にまた、距離のとり方に慣れなくて、なぜかヒジョーに疲れました。(笑。この分、いつかお返ししてもらおうと思ってます^^)

でも、いい感じのご夫婦ぶりを確認できて、疲れても(しつこい?)私はうれしかったです。

カメラマンが、人とのコミュニケーションのツールとしてレンズを被写体に向けることがあるように、占いは、私のコミュニケーションツールにもなっていくのかしら、そんなこと今まで全然考えたことがなかったけれど。

・・・メールをくださったお客さまとは、たぶん、占いという介在物がなくても、普通に会話できる仲良しになれるだろうと想像するのですが、でも、占いがなければ出会いはなかったんですよね。

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2006年2月19日 (日) 00:54


中華街の美

sen寒暖の差が激しいですね。体調を崩していませんか? 気をつけてくださいね。

私は寒がりの汗っかきですので、この季節、バッグに薄型カイロと綿のキャミソールを必ず入れています。 体温調節機能が優秀といえない人は、ツールに頼るしかありませんので。(体質改善しなさいって? ご専門の方、お手ほどきよろしく)

今日届いたニフティのメールマガジンによると、横浜中華街の占い界を取り仕切る山縣さん監修の占いサイトがオープンしたとのこと。さっそく、見てきました。中華街では、1000円手相で圧倒的な客数を得ているところですが、サイトは算命学鑑定に絞られていました。パターンの複雑な手相は、インターネットにはのりにくいのかもしれませんね。

私も以前、中華街で一時期、鑑定していたことがあります。上記の山縣さんの取り仕切る鑑定所と、もう、すぐ隣に、私たちの鑑定所はありました。それぞれ、何人もの鑑定士を並ばせて、しのぎを削っておりました。騒然たるものでございました・・・

また、軒を借りている店舗サイドとのバトル?やらなにやらもありました。

多くは語れませんが、占い業界の業界っぽさのようなものをはじめて体験したのが横浜中華街です。

とはいえ、私は組織の一員に過ぎず、それを離れれば、お隣の鑑定所にも顔見知りの占い師がいましたから、「なんかギスギスしてお金お金でいやな感じだなぁ」ぐらいの呑気な気分でいられたわけです。

組織、グループをひっぱり業界を仕切り生き残っていくというのは大変なことなのでしょう。

私がもと所属していた組織も、規模が大きくなるにつれ体質は変わりました。組織というのは変化していかなければ維持できないものなのでしょう。

奥歯にものの挟まったような書き方をしておりますが、何の他意もなく。

みな、お金があればあるほうがいい。あたりまえのこと。良識から、カネカネという顔はしませんが。

中華街というのは、良識とか関係なく。カネカネという顔をしていてよいところです。

恥じらいや隠すようなところなく、命の維持に欠かせない食を提供する街。 すました顔で人をだますようなことではなく、見たままなのであり、ある程度ぼられても仕方ないなと思わせるところもあり(ない?)、生存競争、生存本能、生存のパワーを感じられる街、 昔から今まで一貫して変わらないという点で、ある種、「美」がある街なのかも。

・・・でも、やっぱり、私にとっては、職場でなく、そぞろ歩きにでかけたい街です。あたたかくなったら中華街へいこう。

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2006年2月17日 (金) 23:12


愛のエネルギーを運ぶのは感情線

ekit2今日は、運命学を勉強しているかわゆいしっかりものの友人たちとお食事会でした。

食いしん坊のお友だちが連れて行ってくれるお店は、はずれがありません。私にも、食いしん坊の星が(そういう星があるのです)あればいいのに、ない。だから、おいしいお店の開拓がうまいとはいえないのです。食べるのはダイスキなのですが^^ ちょっとつまんない。

でも、欠けているものは、足りている人に頼ってしまえばよろしいですね。(よろしく)

そこで、手相の話が出て、「最近、知能線がホウキ状になってきてしまった」と言う人がいました。いろいろ忙しくてストレスがたまった様子です。



手のひらをあちらこちらに伸びている線というのは、パイプのようなものだと思ってください。

それぞれの役割のエネルギーを運んでいます。

パイプは、太くしっかりしていれば、エネルギーを多量に運んで、そのエネルギーを存分に稼動させるのです。(稼動すれば良い悪いという単純な話とは違います、念のため)。

パイプが細くて途中で切れていたり、薄くて何本にも分かれていれば、古びて水漏れする水道管(あるいは頼りないストロー)のようなものですから、エネルギーはチョロチョロとしか運ばれず、その役割を充分に果たさないのです。

線がホウキ状態になれば、必ず、線は薄くなります。パイプが細まってしまうのです。あれもこれもと気持ちがあせる反面で、思い通りの結果が得られにくい。ですから、ひとつひとつのことに、集中していく姿勢が大切になってきます。

小指の付け根の脇から横に短く伸びる「結婚線」も、すっきりとホウキ状にならずに刻まれているのがベストです。

小指の付け根のすぐ下に縦に伸びる「財運線」も、バサバサと薄い線が何本もあるのは、「財」というエネルギーを力づよく運ぶパイプとはいえません。

ホウキ状の線、スダレ状の線が増えてきていないか、各線の先端を、チェックしてみてはいかが?



明日は渋谷のisola BELLAで鑑定しています。雨にも負けず、お寄りくださいね。お話しましょ。



いつもありがとう☆占いブログランキング☆

2006年2月15日 (水) 23:56


またも愛?

rune帰りの電車で、ふと顔をあげると、隣の女性の目が潤んでいました。

早々と花粉症??

ただならぬ水分量です。いまにも、目の縁から涙がこぼれてきそうなほど。

バレンタインデーではあるし、そこは私の妄想力が稼動してあれこれシチュエーションを考えているうちに、彼女は途中の駅で降りていきました。

かなしいことがあったのなら、かなしいな。でも、潤んだ瞳はとても美しいものだな、と、見入ってしまいました。

こころが震えるということは、悪いことではないのです。

昨日、ここで「愛について」なんてことを書いてから、自分を省みてしまいました。どれだけ愛についてわかっているというのか・・・。

そんなときには、ルーンに聞いてみます。25個の石にしるされた古代のアルファベットです。

ポーチに入れていつも持ち歩いている石の中から、ふっと指先へくっついてくるような感触の石を、そっとひきあげます。

「ペオース」

これは、ダイスカップを表す石で、「信じるサイの目にかけてみよ」といった意味があります。

それとともに、「愛」の意味合いを含んでいるのです。グッドタイミングだからスキ^^ 手元にあるテキストのページをめくってみると・・・

「私たちの魂が愛の目を通して見ていないうちは、本当には見ていないのです

「賞賛の言葉に、受け入れる行為に、愛は存在します。そして「許す」ことの意味がわかったら、それもまた愛です」

「悩んでいたり、おびえていたり、解決を引きのばしているのなら、「本来のあなたを取り戻し愛を受け入れなさい」とルーンは助言します。 愛の存在を示す証拠にだけ目を向けてください。 うまくいかないことがあっても、絶望しなければならない理由はないのです」(「ルーンの書」(VOICE刊))

気持ちは、落ち着きました。(単純?)

しあわせすぎても、ふしあわせすぎても、占い師という職業はだめなのだと私は思っています。こころを中庸にならすための、ルーンは私の守り神。

愛の目を通して、世界をほんとうに見てみたいものだと思います(^^;)



このブログを作ってよかったなぁと思うのは、「愛について」なんて書けるコトです。正面きって普段は口にできない話題ですから・・・

それから・・・バレンタインデーもさることながら、私をルーンの世界に導いてくれた運命学の先輩に、感謝の念を改めて覚えた今日でした。



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2006年2月14日 (火) 23:47


愛するということ

bara00003なんてタイトルで、書いてみたかったダケです。

愛してますか? だれを。

愛し上手のひとのこころは、安定しています。

愛し下手のひとのこころは、揺れ動きます。

ほめられたい。みとめられたい。ふりむいてもらいたい。思い出してもらいたい。自分とつきあってよかったと思ってもらいたい。好きになってもらえなくてかなしい、一緒に何かを共有できなくてさみしい、えっちしたい?!・・・。愛し下手のひとのこころは、自分ばかりを見ています。

それは、自己愛なのではないでしょうか。悪いのではありませんが、自己愛は自己愛。他人に自己愛を満たしてくれと言っても無理というもの。

相手をきちんと見ていれば、相手がなにを望むようなひとかは、おのずとわかってくるものではないでしょうか。

冷静にきちんと見れないのが恋愛という状態なのかもしれませんが。何十年と暮らした夫婦であっても、きちんと相手を見たことがないという状態も多くあるわけですが・・。

きちんと見ないのは、愛そうとしていないから?

愛そうともしていないのに、愛を求めるのはやめましょうよ。


愛し上手のひとのこころは安定していますから、相手の望むものをポンと差し出すようなことができます。

愛し上手のひとのこころは、愛するひとに向くことができるのです。それを支えているのは、つよいこころであり、自分をよく知るこころです。

こんなことはよく言われていることなのでしょうが、ことあるごとに思い出されてくるのです。愛だ恋だ(老化防止には恋愛が特効薬とかサ)号泣ブームだと?いろいろ言われても、愛し上手のひとって、ほんとに少ないものだな、と。

すこしずつ、そういうひとになっていきたいものだなぁと思います。ひとをちゃんと愛せるぐらいに、こころを安定させたい。つよいこころを持ちたい。こころのつよいひとは、身のほどにあった欲を大切にして生きていると思います。


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2006年2月13日 (月) 22:33


コメント

あら、またこんなところにコメントが…^^;


手相の説明から察するに、対応上手なかばごんさん、でも本当に思っていることがうまく表現できずにもどかしいこともあるでしょうね。

ある程度は、人間は異常ないきものだと私は思っています。

それに、異常と才能は紙一重だったりもします。

いろんな見方があります。いたずらにおそれず自分を伸ばしてあげてくださいね。HP読んでいただいて嬉しいです。

投稿 恵美花 | 2006/10/26 17:09:07

返信ありがとうございます。父方の祖母は4人姉妹で父にあたる人がそれぞれ4人全員違うので異常かなと思っていますので気にしていました。時折みかける詩や先生の主観・客観的な描写は心地よく、落ち着かせてくださいます。私の手相は頭脳線の先がほうき方、感情線はくの字に下に落ちています。当たっています。11月生まれでまた気性も当たり。内に秘めることが多いし、何かしら考えています。読むことも好きです。AB型のさそり座です。このH・Pは心のよりどころです。ありがとうございます。

投稿 かばごん | 2006/10/25 15:26:15

あら。かわいい訪問者が?

レスしてから、ふり返ってみたら、20代の頃は、ダスティン・ホフマンが結婚式場から花嫁を連れ去ってしまう「卒業」に大いに共感していたのだった。愛は奪い奪われてこそだと。

基本は今も変わらないのですが・・・ なにが変わったのだろう(ひとりごとです)

投稿 恵美花 | 2006/02/23 0:50:55

投稿 h | 2006/02/23 0:07:34

いっちゃん+さん、こんばんは。

愛について語り合うとは、ブログさまさま^^

野島作品らしいですね。(と言い切れるほど作品を知っているとはいえないですが)

私の理想としては、
他の人と婚約をしている愛する人への言葉は「しあわせになってください」です。

私なら、そう言いたいし、そう言われたいです。

別のひとといっしょになるのに、愛を宣言されても困ります。うれしいひともいるかもしれませんが。

じぶんの気持ちを抑える心のつよさに、今の私は愛を感じるようです。

年齢によって人によって愛のとらえ方はさまざまと思いますが。

・・文脈の受け取り方が間違っていたらごめんなさいね。

投稿 恵美花 | 2006/02/22 20:40:16

ある科学者は森の中で家族と仲むつまじく幸せに暮らしていた。
しかし、その科学者を知る者によると、科学者は研究に没頭するあまり家族を省みず、子供は非行に走り、自殺、妻はノイローゼで家庭は崩壊していた、と。
そのとおり実際に家庭は崩壊していたが、その科学者の専門は生物学。
クローン技術により自分の理想の家庭を作り出していたのだった。

そんなあらすじで真の愛を探している主人公が最後に他の人と婚約をしている愛する人へ叫んだのが前記のセリフ。
一話完結の寓意に満ちた作品です。
ジョンレノンの「LOVE」が主題歌なんですけど、歌詞の内容のように「愛とは・・・」を繰り返します。少し言葉が哲学的で難しかったようであまり広く見られた作品ではないです。

投稿 いっちゃん+ | 2006/02/22 19:44:48

モロさん、

>愛し上手、なりたいです!笑

この一行に素敵に反応してしまいました。
あかるさがいいですねー。

陽の気を感じさせてもらいました。

陰の気のほうが、ネットの世界では吸引力あるんだけれども(ニュース掲示板や自虐系テキストなど)、
陽の気(あかるさ、力づよさ、おおらかさ、「なんとかなるって」「何度もやってみよう!」気分)が、もっと蔓延してもいいよなぁと思っています。

陰を否定しませんが(それもまたいとしい☆人間性ですので)
バランスがね、あるといいと思う。

投稿 恵美花 | 2006/02/14 22:57:10

恵美花さん、こんばんは。

愛し上手、なりたいです!笑
愛し上手は愛され上手ですよね。
愛して欲しければ、愛せる心が大切。

自分を中心にして考えるのではなく、
相手がどう思っているのか、
どう感じているのか、
が大切ですよね。

そう考えるには強い心が必須になります。
僕も少しずつかも知れないけれど、
愛し上手になりたいと思います。

投稿 モロ | 2006/02/14 22:29:10

いっちゃん+さん、いらっしゃい。

(気恥ずかしいけど)愛って、広く狭くいろいろ考えさせられて、いいテーマなのかもしれません。

愛したときには、こころは落ち着いているものだということを(違う形の愛もあるでしょうが)近年ようやく私は知った次第(気恥ずかしいというより恥ずかしすぎ)。
でも、この思いの感じがわかると、もっとひとを愛せそうな気がしてきます。ん?

野島作品には近親憎悪のような感覚が湧いてちょっと苦手なのですが、どんな内容なのでしょうか、見てみたい気にさせます。

確かに、人を愛せている、少なくとも愛そうとしていると感じられる自分をいとしく思います。

私が、運命学に入り込んだ理由のひとつには、愛の問題がおそらくあるのです。親子の愛情についてなのですが。親子の関係は異性との関係性に影響を及ぼすから。あっもう寝なくちゃ

投稿 恵美花 | 2006/02/14 4:28:05

はじめまして。
いきなりですが引用。

「人間の愛はしょせん自己愛に根ざしているのかもしれない
僕も結局は、自分が一番かわいいのかもしれない
だけど僕が好きなのは、あなたを好きな自分なんだ
振り向いてくれなくたっていい
僕が想っているのは、あなたがこの宇宙で唯一のあなただからなんだ」
-野島伸司脚本「世紀末の詩」から-

(気恥ずかしいけど)恋愛について考えるときに問題提起として思い出すドラマ作品です。結論付け出来ないので、中途半端に放り投げてみます(気恥ずかしいから)。

投稿 いっちゃん+ | 2006/02/14 0:40:27


ながい友だちといて思うこと

tsubu02_300A金曜日の夜に、学生時代のサークルの友人と久々に集まって居酒屋さんで宴会いたしました。新宿の昭和ムード引きずる安酒場で。気軽、気安く、話しやすく、大変なごめてよかったです。

毛穴の奥までしみこむ勢いのタバコの煙だけが困りものですが。

境遇待遇異なり、久しぶりで遠慮のある雰囲気も、アルコールにより打ち解けてきて、突然聞かれたことといえば、

「占いって、あたるの?」 でした。

・・・私に、どう答えろと?

何て言ってもらいたいですか?

実は、私もときどき聞いています(あは)。運命学のテキストや易経や自分が記録してきたあれやこれやのノートに、こそっと。占い学校の師や先輩には、聞きません。聞かれたって困りましょうぞ。

偶然ひるがえったカードやサイン、指先にくっついてきた石の文字に、聞いています、こそっと。

「ほんとにそうなの?」

「なんで当たってるの?」

それから、「どうすればいいの?」と、語りかけます。

語りかけると、内心から返ってくるものがあるように感じられます。先へ進めます。

占い、というか運命学は、いいこととか、悪いこととかではないのです。ラッキー、アンラッキーということではないのです。生き方を問いかけることなのです。(独断!)

こんなことを考えてる時点で、学生時代の私とは違ってしまっているわけですが、学生時代の友だちとして愉しくいられるときには、愉しくそのままでいたい。だから「宿命のような流れはあるみたいだよ」と軽く説明して済ませてしまいます。何を言っても反応は同じと思うので。(ちがいます?)

呑んでいるときは、ただホロホロと愉しく酔っていたいのです。

愉しく酔っていると、人生は短いなぁと感じます。あんまり愉しいと、何故か私はすこし哀しくなる。 終わってしまうお祭りのようなものでしょうか。 でも、私たちのお祭りはまだすこし続きそうと思う、お祭り継続には皆、苦労があると思う、それをわかっていて20年前の思い出話に興じるひととき。 生きるということはがむしゃらで、ときに醜くひとをまきこみまじわり燃え盛りうちひしがれて磨かれて倒し倒されて流されて止まる。かなしいな。だけどキレイだ。万華鏡を覗くよりもキレイです。

・・・少々センチメンタル・デーにて失礼。 占いの話でしたね。占いについて、すぐに確かめられないことは、いったんのみこんで、確かめていきます。えぇ、えぇ、昨夜のお友だちについても確かめるべく、全員の命式を家に帰って算出させていただきました(コクハク!)



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2006年2月11日 (土) 20:20


コメント

モロさん、はじめまして。
うれしいレスをありがとうございます。

そう。考えていく行為って、私、愉しいことだと思うのです。

モロさんのところへも遊びにうかがいますね。

投稿 恵美花 | 2006/02/13 19:56:43

恵美花さん、こんばんは。はじめまして。
新着記事から遊びに参りました♪

運命学ですかー?おもしろそう!
で、当たるんですか?(笑)

「生き方を問いかける」ですか。
もし、占いで未来が判ったとしても
それだけでは、意味がないですよね。
それを知ったあと、どうするか?
そういうことを考えることが大切なのかも知れませんね。

投稿 モロ | 2006/02/11 22:33:45


つきあう、とは??

heartfull_handA_206鑑定の場にいるときは、たいていのことには驚かなくなっているのですが、ふいをつかれた形で、ささやかなことにホェ~~!??となってしまうことはあります。

たとえば・・・

「つきあう」の定義。

たとえば、男の子と同じ屋根の下で一緒に暮らしていて一緒に行動しカラダの関係もある、けれど「まだ、つきあっていない」という若い女性に出会ったようなとき。

え? ソレは、一応つきあっているっていうんじゃないのですか?

「つきあおうってなってないから」。

ぅうーん。ではソレは、なに? 

私、ぽかんとして、聞いてしまいます。

ねー つきあうって、ナンナノ ですか?

「つきあおうってなったら、つきあうこと」。

答えが大変、明快なのです。

気持ちいいぐらいに明快。

明快なのですが、私にはよくわからない・・・。

「今のカレと、つきあえますか?」

うぅーん。すでに、つきあっているのでは?

「つきあってないんです」。

・・・細かいところ、もちろんフィクションですが、一人二人の例ではないのです。・・・たとえば・・・三年も四年も同棲していても、それはつきあうということでなく、・・・たとえば・・・ふと、ある夕暮れに、横浜で(なぜか)ベイブリッジなど眺めながら 「じゃ、俺たち、そろそろつきあおっか」という、約束事が成立したら、それが"おつきあい記念日"? ・・・そこから二人の間に大きく変わることとは何なのです? ・・・知りたいなぁ~・・・ また私は妄想の世界へ・・・

肉体が結びつく垣根は低くなっても、「つきあう」とか「結婚する」といったカタチのほうは、かえって、くっきりと定義付けされてきているということなのでしょうか?

私は、自分では自由な考え方をするほうだと自負しているのですが、10代や20歳前後のお客さまと話していると、やはり、考え方の違いにハッとさせられることがあります。

どうしてそういう考え方が起こってきているのかと悩むことは愉しく、これだから、いろんな世代、ジャンルの方の考え方に触れられる鑑定はやめられないなぁと思ってしまうのでした。

もちろん、どんな場合でも、私のすることは、いつもと変わらないのですが。手相を見て、生年月日から命式を出して、お話を重ねて聞いて当人に向き合いはじめると、最初に感じた違和感は薄れていき、「そのひと」の存在が私の目の前にいるだけになります。



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2006年2月10日 (金) 02:40


相性の悪い人とつきあうのもよいのです

n_68さて、今週から木曜日は、セレクト・ショップのisola BELLA(イゾラベッラ)さんで鑑定をすることになりました。

渋谷の東急文化村のすぐ近くです。12時~19時までいますので、お近くにお出かけの際はお寄りくださいね。仕事の合間にでもこそっと(笑) 個性的なアクセサリーなどたくさんありますよ。サプリメントや筋トレにも詳しい(?!)チャーミングなオーナーもいますよ。

isola BELLAさんのサイトは↓ココです。

http://www.isolabella.ne.jp/

今週は、土曜日も、isola BELLAへ、お昼頃に鑑定に行く予定ですので、もし鑑定希望で土曜のほうが都合いい方は連絡くださればお待ちしてます。連絡なければ帰っちゃいます。なぜって誕生日デスカラ。なぜってバレンタインデーも近いし。関係ないか。いやいやありたいものです。でも、鑑定がなにより好きなので、3、4人ほど候補をひっさげて相性診断に来てほしいなぁ、と思っております。

相性といえば・・・

ときには相性の悪いひととつきあってみるのも、よいことなのです。異性に限らずです。長い目で見れば。人間の幅がひろがります。いやですか? 傷ついて不幸になってはいけませんが。

相性のいいひととしかつきあわないようにしていると、運命学的にいうと「守護神ばかりに頼っている」と、ふにゃふにゃ人間になっちゃう危険性もあるってことです。相性がいいと、あまり努力しないで済むでしょう? ラクする癖がついてしまうということ。

そうすると、いざっていう時に弱い。

ほどほど、が、いいわけですが。

そして今日は、また冷え込むのだとか? あたたかくして。お体にお気をつけくださいね。



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2006年2月 9日 (木) 00:59


花なき里も花ぞ散りける~?

045国会での答弁を聞いていると、皆さん、口が達者だなぁと思うのですけれども、達者だなぁということしか印象に残ってこないのです。あぁ言えば、こう返す、こう返せばこう逃げて、開き直って切り返す、か。

思想、というと、大げさですが、見たいな。なんて、思ってしまいます。危険発言ではないでしょう^^ だって政治なんですから、思想ぐらい感じられたっていいじゃぁありませんか。

・・・今日は、出光美術館に寄ってみました。ふと。皇居のお堀沿い。帝国劇場の建物の9階へ。

「歌仙の饗宴」と題して、三十六歌仙の絵の掛軸やら屏風やら、そして和歌を記した書が展示されていました。紀貫之、柿本人麻呂、小野小町ら、古典に詳しくない私でも、どこかで歌を目にしたり名前を聞いた歌人たちの存在感。「ほんとにいたんだな~」という!? なんとも原始的な感慨とともに、時の流れの不思議さを思いました。

なかでも、俵屋宗達の扇絵の屏風に魅せられました。たくさんの扇のなかにまたそれぞれに趣向を凝らした絵柄が… ウットリ。

こんな大きな屏風だけがある座敷に居て、一夜だけの夢を見てみたい、、、と、しばし妄想モードに・・・ (見てみたら悪夢かもしれないケレド)。

まもなく閉館というアナウンスに足を速めて出口へ急ぐと、窓から眼下に広々と皇居が見渡せました。 濃さを増す夕闇の中にも際立つ木立ちの深さ・・・。絶えることなく続いている天皇家というものを思って、整理のつかない感情がわきました。 視界が広く、”見晴るかす”という感じだったからでしょう。

紀子様御懐妊とのニュースを知ったのは、家に帰ってからのことでした。ほぉ

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2006年2月 8日 (水) 02:07


手のひらチラリに弱いわたくし

036冷えてくると、からだが休みたがるのでしょう、ついウトウトしてしまいます。報道ステーションの古館さんの声で目が覚めると、お隣に谷垣財務大臣が。

ぼーっとした頭で見ていたのですが、谷垣さんが手のひらをチラチラとこちらへ見せると、気になりだして・・・。手が気になると、人物も気になってきます。

普段何気なくテレビを見ていても、いろいろな方の手相が結構、見えるものなのですよ。芸人さんや政治家さん、アピールしたい人たちは、手をよく動かしますから。

なんとなくわきまえた雰囲気漂う谷垣大臣。ですが、趣味が登山や自転車レースだということを知り、また「読書家で知られます」なんてナレーションとともに本でぎっしりの書架など写しだされると(うわぁ素敵☆←本好きです)、いよいよ興味が湧いてきます。消費税率アップ、社会保障負担などなど気になる話が続いているのですが、、、どんな手をしているの?

おそらく右手の知能線は常識派で。下降しすぎず横一本でもなく。そして感情線の枝線が、知能線にドッキングして見えました。あとはわからず・・・もっと早くから目を覚ましておくのだった。

感情線の枝線が知能線の根元につながった手相の人は、「自分がやらねば誰がやる」という正義感、使命感を持って行動することが多いひとです。

・・・これだけでは欲求不満で、スッキリしないので、谷垣大臣の生年月日をネットで調べさせてもらうと1945年3月7日。なるほど。 算命学でみますと、日干支は、おとなしそうに見えて力づよい「乙亥」です。私は不思議と、この「乙亥」のお客さま(特に女性)と縁があり、物静かでも芯のかなり強いところが共通しています。勘がいいというか頭がキレます。一芸に秀でた職業、役者、芸術家などにも多いのです。

谷垣大臣の場合は、男性であるにもかかわらず、日干支、月干支、年干支ともに、すべて女性的な陰の星ばかり出ています。(女っぽいということではありません)。ですから、「俺についてこい!」という雰囲気にはならないのです。そういえば、小泉首相も全部、陰の星でした。ちょっと別格のところがありますが。

けれども、谷垣大臣の精神・価値観を表す星となると、すべてが現実に強い星で構成されていました。精神性の強い星を持ちません。 誤解を恐れず言うと「考えない星」ばかりで構成されています。頭が悪いということではありません。大変頭のよいエリートですよね。でも、「考えない」のです。

ある面、考えない人は強いのです。

自分で「あーでもない、こーでもない」と余計に考えることがなければ、他人の考え方を抵抗なくスーッと吸収できます。他人のやり方を「自分ならこうやりたいがどうしようああしよう」とか考える暇なくマスターしていけます。後は使い方です。

ですから、人によって非常なる差はでるわけですが、先人の偉業に学ぶとか、すばらしい師や書物に出会った場合には、吸い取り紙のように知識吸収し自分のものにしていきます。谷垣大臣は、リクツではなく、からだで、肌感覚で、さまざまな知識を蓄えてこられた方なのだなぁということがわかります。使い方を知った方なのです。

慎重ではあっても、体を使って世の中へ切り込んでいく形。これは別に矛盾しません。また、こういう人は、じっとしていたのではエネルギー燃焼しないのです。体を動かさないとだめなのです。激しいスポーツが好きなのは、この方の運勢がうまく回っていることの証拠と言っていいでしょう。まだ書きたいのですがこのへんで。

そうそう、関係ないのですが、あるかもしれないのですが、加藤紘一さんの命式と似た点が多く見受けられ、お二人の縁が察せられて面白かったです。 

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2006年2月 7日 (火) 01:57


剋線が生み出す光と葛藤

nirin0004

頭のよいのと、才能のあるのとは違います。

もともと頭のよい人はよいのです。(身もふたもない言い方ですネ)

運命学では、その人の才能の方向を見るのに、宿命図の「剋線」というものを使うことがあります。 「剋線」とは、その人の持ついくつかの気質を、五行に置き換えた場合に、スムーズに流れないそれぞれの関係性を言います。

剋線がかたよって多い人ほど、精神葛藤は強くなります。

ですが、その剋線のかたよる箇所に、才能を見ることができます。

スムーズに流れないことにこそ、人はこだわるのです。こだわるとは、無意識ではいられないのです。とても敏感になります。そこに、才能があります。

才能のあるのがいい、悪いではないのです。

あると、精神葛藤があるのですから、苦しいといえます。

才能とは、その人のアンテナの張り出し具合を示しているだけですから。アンテナが張ってあっても、機能が磨かれていなければ、苦しいだけのことなのです。

結局、何が言いたいかと言うと・・・^^

「結局、がんばれってことだよね、センセ。がんばるよ」と、ときどきお客さまから言われて、当惑。私ってバカのひとつ覚えなのかしら、これじゃいけないのかなぁ~と思うこともなきにしもあらずなのですが… でも、そう、がんばるべきところでがんばらないと、アンテナは、機能を十二分に発揮しないのです。苦しいだけなのです。

らくらくと活躍しているような人ほど、見えないところで大変努力をしていることは、わたしなどが言わずともご存知のことでしょう。

私は、才能のあるひとが発している苦しそうな光を見つけるのが好きなのです。どんなふうになっていくのだろうと追っていきたい気持ちなのです。子供の頃からヒカリモノ好きでした(石、ガラス、貝殻、お寿司^^)

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2006年2月 5日 (日) 23:55


柔軟性という武器を手に入れる

bara0009節目、節目を意識するといい理由は、生き方を変えるチャンスだから。

変えるといっても、じぶんの性格を変える必要はなく、自分本来の質が輝く生き方に変えるということ。

生き方を変えるというのは、ただ環境や相手を変えることではありません。うまくいかないからといって、次々と仕事や趣味や付き合う相手や結婚相手…など、目先のものを取り替えていってみても、自分自身はいっこうに変わらないのです。

車窓の風景がしばらく変わるだけで、自分はいつまでも同じ車で同じ運転の仕方をしています。だから、同じ不満足に必ずいきあたり、また取り替え、ということに。

生き方を変えるというのは、運転の仕方を変えていくようなことですから、風景が変わるのはもちろんのこと、休憩の場所、時間から、そこで出会う人たちの種類や交わす会話も変わってきます。

生き方を変えることができると、柔軟性が出てきます。

自分が変われば相手も変わると、よく言われるのは、このようなことではないでしょうか。時間は有限。不満を口にするばかりで日々を重ねていくのはむなしいことだと思われます。節目を上手に利用してみましょう。

満足して暮らされている方には関係のないことかもしれませんけれども。

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2006年2月 4日 (土) 20:56


サムライソウルと節分と

060109_150947_Mスーパーに寄りましたら、節分用の豆が売り切れでした。毎年、こんなに大騒ぎしていましたっけ? 節分は。 何種類もの太巻きも並べられていて、恵方巻きの風習も、関東へ定着しつつある印象を受けました。バレンタインデーと同じく商魂から出ている流れなのでしょうか?

世に鬼が増えましたからね。煌煌と世の中が光に照らされて明るくなればなるほどに、陰になる部分は一段と暗くなり、鬼が潜むにはもってこい。

ミュージックステーション久しぶりのウルフルズは、10年前とかわらずにストレートなメッセージ「サムライソウル」を歌っているけれど…。

わかりやすすぎてちょっと恥ずかしくて感情移入できないのです、ウルフルズって。 だけど、熱唱するトータスさんの赤鬼みたいな濃い顔面を見ていたら、今の時代にすがすがしい! こういう種類のひとがいつまでもいてほしい、いなくなったらオワリだな。そう思いました。私も、サムライ好きなのです。波田陽区さんにサムライ魂あるや否やはわかりませんが。

・・・ともかく、節目を意識して生きることは悪くない。なんどでもやりなおしていこうよ、と。明日は立春。 「新しい年は、ほんとうは明日からなんだよ」と、電話の向こうの遠方のひとに冗談っぽく言うと、「よいお年を!」を返されました。

今日は、節分だけでなく個人的に特別な日でしたので、いつもより早く目がさめていつになく気が張っていました。そんなときに限ってなぜかいつも、電話してくる懐かしい友人。滞っていた作業を先へ進めようよ、という提案でした。うれしかった。

動いてみると、不思議とまわりも動くものです。 その友人とは、いろんなことがあったにもかかわらず、10年前に初めて電話したのと変わらない様子で話していられることを、しあわせに感じました。

「どうして私ばかりこんな目にあうんだ」と、10代、20代…30代初めまではまだ、不幸せ上手でした。 今は違います。性格の短所、欠点などは治りませんが(…「性格は直らない」by運命学)、ささいなことにもしあわせ感を覚えます。 もし、それが年をとってしまった証拠だとしても、それは素敵なプレゼント。年をとるのも悪くないと思うのです。10年後の今日も、そしらぬ顔で、あなたに「よいお年を!」と言いたいな。

今日は占いと全然関係ないのでした。いや、すこしあるのかな。虚栄心とのバランスをどうにかしないとプレゼントから鬼が出るみたいです。



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2006年2月 3日 (金) 22:44


胎動する1月生まれさん。そしてまた春へ

050221bまた冷えてきそうですね。足もとをあたたかくしましょう。

昨日は、おいしいー餃子☆をいただきました。新宿駅西口から(南口からも)近い老辺餃子館。よく知られた店なのでしょうが、私ははじめて。ほんとうにおいしい餃子でした。

具も、スープも、もちもちした皮そのものも、おいしかった。調味料なしでいただきます。水餃子好きのひとには特におすすめ。
餃子メニューの中でも圧巻は「皇帝鍋」。ガガ~ン!とドラの音高らかに打ち鳴らされてシェフが運んでくるお鍋には、小さなかわいい餃子がいっぱい。そして小さな魚介とキュウリやニンジンまで入って、さっぱりとしたスープ仕立てです。

からだの具合の悪いときに、こんなスープを飲んだら回復が早そう、なんて思える滋養風味豊かなお料理でした。中国の皇帝も、ごちそうの最後の仕上げに好んで食べたのだとか。なべ底から吹き出る炎にもあおられて、やまない雨の冷たさを忘れます。

接客も、ぶっきらぼうでもなく慇懃丁寧過ぎず、くつろげる雰囲気。寒い季節に、もういちど行きたい!という気にさせるお店でした。ご一緒しませんか(笑)

さて、2月生まれからハズミではじまったシリーズのまとめは1月生まれさん!

1月は、「丑(うし)」の月。丑は、方角になおすと、北東、「艮(こん)宮」にあたります。「艮」は、山を表しますので、1月生まれは実直で、がまん強く、ものごとを積み上げていきます。

しかし、山のなかにはマグマがありますので、爆発力を抱えているひとも。偏屈が過ぎると葛藤を生み爆発?!しますので気をつけて。

また、丑は、五行になおすと「土性」です。土性は王の座ですから、自分勝手で、わがままな面も。王のムラ気をつつしんで。 困難に強い丑月、1月生まれですから、根気よく積み重ねていくことで実を結びます。

丑という字は、「紐」からきています。地中で伸びはじめ絡まりはじめた草木の根とも言えるし、胎児のへその緒とも言えます。希望を持って胎動しつつ、時期を待っているのです。

十二月卦は「地沢臨(ちたくりん)」。臨んでいく。向かっていくのです。

丑の時刻は、午前1時から3時まで。もうしばらくしたら夜が明けます。そして、季節は、また2月へ。 月日はめぐり、止まるということがありません。



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2006年2月 2日 (木) 17:23


雨の日ばかりも続かない12月は既に春のは・じ・ま・り?

heart_miniD今日(既に昨日)の東京はシトシト雨で、髪の毛があっち向いたりこっち向いたりモシャモシャで、ほのかに風邪ひきそう!な予兆はあれど、でも、いい日でした。

率直に、ひとと話すことができると、私はしあわせだなぁと感じます。

それほど、普段はできていないってこと??という疑問はおいといて。しあわせの尺度はひとそれぞれ。

12月生まれさんまでやってきました。12月、「子(ね)」の月には冷たい水性がたっぷり。いちばん!寒いとき。

いちばん寒いとなれば、二番はないわけで。あとは、あたたかくなるだけなのです。リクツでは。いえ運命学的には。

だから、易の十二月卦は「地雷復」。11月の陰の極まりから、はや陽の気が生じてきています。冬至を境に、日脚は伸び、そうは全然見えなくても、目に見えない地下深くでは、春への準備が始まっているということ。

陰ばかりの奥底に芽生えた、1点の陽の気は、伸びていきたい。 だから、12月生まれは、よく働くひと、自己顕示欲強いひと、見栄っ張りなひと(失礼!)。物腰ソフトであっても、なかにはカッとしやすいひとも(失礼失礼!) ですが、たいてい無邪気なひと、正直なひと。

そして、「子」月は、方角にすると、北方、「坎(かん)宮」にあたります。 「坎宮」は、困難・苦労の意も含みますので、細かいことを心配する小心さもあり。それがプラスに転じれば、もともと働き者ですから、几帳面に、着実に、仕事を成しとげていくひととなり。経済観念鋭いひとも多いのです。

・・・っと、日付が変わってしまいました。「子」の時刻は、午後11時から午前1時。充分な睡眠が明日への元気と美肌!を準備しますね。 今、0時26分。私もたまにはたっぷり準備しないと…ハーブティーを飲んで。オヤスミナサイ。 

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2006年2月 1日 (水) 00:36


カタイ種皮に守られた生命の水11月

054鑑定料金が「お安すぎるのでは」とアドバイスいただきました。お客さまの居心地がすごくいいとは言えない喫茶店での鑑定だったので、私にとっては、とても嬉しい言葉でした。でも、料金については思い複雑です。

気軽に利用してほしいと思うので今の料金設定なのですが、安すぎるとアリガタミがないとも言われるし、2000円でも高い!と感じるひともいます(ただし、占いでお金をとるのは言語道断と言う方とは住まう世界が違います)。どういう方をお客さまにしていきたいか、自分はどういう鑑定をしていきたいのかで、決めていくものなのでしょうね。

そんなことつらつらと思いながら、テレビをつけると(TVネタ多いですが普段ほとんど見ないのですよ)、ギター侍の波田陽区さんらを、占い師がズラリと取り囲み行く末を占う番組をやっていました。波田陽区さんを初めて目にしたときの、「このキャラで人気商売を志すとはすごい」という新鮮な動揺?!を思い出し…。興味あるひとだったので、ちょっと見ていたら、ひどい言われようで、ついつい笑ってしまいました。タレントさんは打たれ強くなくてはネ。そして、占い師って外から見るとこんな感じなのだなと、こころにふかーく刻みました。

そして、占いゴトも、11月生まれさんまでやってきましたよ!(ちょっと眠いので元気をだして、と…)

11月は、「亥」の月。時刻になおすと、午後9時から11時です。そろそろ、休息タイムです。十二月卦は「坤為地」(こんいち)で、ついに陰の気ばかりになりましたよ。「坤為地」は、母なる大地ですから、温和そうなひと、面倒見のよいひと。

けれど、11月生まれは、カタイカタイ。なんでカタイかというと・・・ 亥の月の「亥」という字は、種子をあらわす「核」からきています。 種子は、地面深くにかたく眠り、春の再生を待っているのです。カタイカタイところから、自我心強く、意志強く、一徹なひと、正直なひと。カタイと折れやすいので短気なところも。そして独断でものごとを押し進めるきらいがあります。

「亥」はつめたい「水性」がメインですので、情愛がかなり濃ゆいけれど表現は下手?! 方角は、北西、「戌」と同じく「乾宮」で、天の強さも出ています。

「天」と「地」がまじわって、種から芽が伸びだしてくるには産みの苦労があるわけです。苦労に耐えられる強さを持った11月生まれさんですが、くれぐれも、かたくなな心でやわらかい芽をつぶさないようにしてください。


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2006年1月31日 (火) 03:25


コメント

のんこさん、なんて素直なんだ・・・!こわいです(?)

そして、のんこさんが"愛情表現下手"かどうかは取材の余地あり、ですよね^^


赤月さん、11月生まれだったのですね。皆さまの誕生日があとからあとからわかって恐縮至極なんだけれども。気にせずコラムは続きます・・・

言葉についてコメントされると光栄に思います。願いをこめているので。

わたしも体やわらかくしたいなぁ。ストレッチですか?

投稿 恵美花 | 2006/02/01 0:55:41

指折り数えた記事です!
わたしは11月生まれなので、楽しみにしていたんです^^

はい、確かにかたいです。
体だけは柔らかくしております。

ウィークリーメッセージの方で、タイプは合理的なプロフェッショナルなのだと思うのですが。
その中の「待つことはあきらめることではないのです」という言葉が、とっても印象的でした☆

投稿 赤月 | 2006/01/31 13:11:36

はーい、了解でーす

投稿 のんこ | 2006/01/31 8:30:32


10月生まれさんの胸のうちには破壊性が?

n_1810月は、「戌」の月。戌は五行に直すと、「土性」ですが、実際は、「戌」は、金性も火性も含み、またもうすぐ冬ということで水性さえも含まれようとしています。だから、バランスがとれているともいえるし、ある瞬間に思いがけない面が突出することがある、ともいえます。

もともとの「土性」の意味から、自尊心強いひと、実直なひと、凝り性なひと。

方角でみると、北西、「乾(けん)宮」。 「乾宮」は金性ですので、攻撃性、活動性、義理がたさ、正直、忠誠心という質が大きく出ます。また、「乾宮」は、大いなる天を表しますから、その意味から、気高いひと、理想を追うひと、慈善心あるひと。

もうすぐ冬。戌月には、植物は伸長を止めて、寒い季節に備えます。十二月卦では、陽の気も極僅かな「山地剥」(さんちはく)にあたり、何事かの崩落を恐れるあまりか、大変用心深いひとが多いのです。そして、なぜか片意地張るひと。

いろんな質を持ち、おとなしそうに見えても、破壊力を秘めています。執拗なまでの努力で大事業を成し遂げるひともいるし、変わり者タイプも多い戌月生まれさん。おもしろいこと、おかしなことを(とらえ方は見る人によるんですよね)、しでかしていただきたいものです。

時間になおせば、午後7時から9時。一日の主な出来事も収束するころです。


・・・と、なんとか本日中の更新に間に合いました。今日は本サイトのウィークリー・メッセージも更新しましたので、そちらもぜひご参照ください。

2006年1月29日 (日) 23:54


9月生まれは止まれない?

n_52「時効警察」(金曜23:15テレ朝)をまた見てみたのですが、初回よりトーンが落ちているように感じました。緒川たまきさんと主演2人の魅力で、なんとかもっていたような。 演劇的な運びは嫌いではないのですが、それに頼ると、割と、どんな話でも、それなりに最後まで持っていけちゃう。でも、流れやすい。 テレビドラマだからできる演出が、もうちょっとあるのではないかなと、まぁ勝手な視聴者ですから思ったわけです。

さて、9月生まれさんは忙しそうなひと。酉」の月ですから。

方角は、西方、「兌(だ)宮」にあたり、「兌」は人の「口」から息が出ている様を表しています。よく話し、また語りたいことのあるひと。時刻になおすと、午後5時から7時。一日の仕事の締めくくりやアフターファイブ、ご飯の支度などにバタバタと忙しいときです。

また、「酉」は「金性」であり、知恵があり、ひたすら前進。後退しません。せっかちで、機転のきくひと。自尊心強く、身を飾ることに熱心な人も多いのです。愛情面には難点も。大切なひとには惜しみなく愛情を注いでくださいね。

十二月卦は「風地観」(ふうちかん)。陰の気が増殖して季節は「醸」されてくるころ。「醸」に「酉」の字が含まれているでしょう? ものごとを熟成させるために尽力してください。



ところで・・・ 先日、鑑定の帰りに、「自分のことも占うんですか」と聞かれました。も、もちろん。自分の人生はなぜにこのようなことになっているのだろう…知りたい、そのために運命学にとっかかったわけなので。好機や気をつけることを知るために主に使っています。

わたくしは、女子大生のときに女子大生ブームというのに出くわし当惑し(利用しきれず…)、ワニを飼いたいなぁとあちこち見て回っていたら爬虫類ブームがおこり当惑し、別姓で暮らしていたら夫婦別姓が盛んに言われるようになり当惑し、なんとなく手相を習って占い師デビューしてしばらくしたら占いブームがおき当惑(おかげで仕事になっているわけですが)…

…と、先端を行っていると言えるのか、いや、なぜか時流に乗ってしまうというか…。でも、時流に乗ってしまったとなると、皆と同じことをするのが気が進まないヘソマガリ癖が出て、爬虫類のことも夫婦別姓のことも、一時の非常なこだわりは(といっていいのかわかりませんが)薄れてしまいました。

運命学は長く続けてきたのですから、続けていきたいものだなぁと思っておりますが、「頭よさそうに見えるのにどうして占いなんか」(?!)とか言われましたり、例の呪文のニュースなど見聞きしますとがっくりくることも^^

でも、「占い」というのは、”うさんくさい”ぐらいのとらえられ方をされているほうが健全な世の中かもしれません。 自説を、信念を持って国民に訴えられる政治家や論客がおらず、本来、陰の稼業であるはずの占い師が一国のあり方を表舞台で論ずるような今の世の中に、疑問を感じています。そういう時代なのだなととらえております。

それから、一夫多妻というのは、よほどの経済力と精力がないと維持できないものだと理解しております。今の日本で、継続可能な方がいらっしゃるならお目にかかって手相を拝見してみたいものです。

今日は少々酉っぽく語ってみました(笑) 



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2006年1月28日 (土) 14:57


8月生まれさんの闘う相手は?

n_01「ねぇねぇなんだか後ろまで読んでみても1月生まれがないみたいなんだけど」と、言われました。

はい。ありません。なぜなら、「例えば2月生まれは…」と、ハズミではじまったシリーズなので、1月生まれさんはトリに控えているのです。ハズミではじまる恋もあり、縁もあり、、、でも、ものごとの結びつきにはきっと意味があるのです。

それで8月生まれさんはというと、「申」月生まれとなります。申! 申年生まれもそうなのですが、頭の回転が速く、闘争的、活気ある人柄は、「金性」の質から来ています。金性の本質は、攻撃本能。”勇気を持って前進”です。 金性は、虚栄心も含みます。そうであっても、つきあいがよく、ユーモアを解し、人のこころを和ませることも上手なのが8月生まれのあなたです。

時間でみると、午後3時から5時にあたります。暦の上では、既に秋へ向かうころ。日盛りの中の経験をいかして、さらに充実し自分を伸ばしていきたいところです。「申」は、「伸」からきています。しかし、8月の十二月卦「天地否」は、強い陰陽が互いに隔てられ混じりあわない。器用すぎ何でもある程度こなせるあまり、飽きやすいきらいあり。ドアが閉じられてもすぐ他へ移らずに、続けていくこと。そうすれば、才気鋭いあなたですから、意を同じくする仲間が集まってきます。豊かな実りを期待しましょう!

2006年1月25日 (水) 23:58


そうはいっても?!情にあつい7月生まれさん

065「虚業」と言えば、占いも立派な?虚業。「ものづくりしていない」云々とライブドアを評しているキャスターさん、コメンテーターさんたち。なるほど、私もものづくりびとを尊敬していますので納得のことば。でも、それだけメンバーずらりと並んでいなければ、ちょっと言えないセリフでしょう、あなたたちも、と、私は思うのですが・・・。

ひとを幸せにさせてくれないのは、ねたむ気持ちだと私は考えています。みずからを省みても。ねたむ気持ちが、上昇志向を育んで起爆剤、エネルギーになることはむろんあるのですが。 ねたみ虫は虫退治してどこかにやっちゃえるものでもないようですが、ときどきかわいいですしね☆? でも、自分の中にいるねたみ虫を自覚しているひととそうでないひとの差は大きいと思います。

ねたまない。ひとのせいにしない。ひとの考えによりかからない。


さて、7月生まれさん。「天山遯」(てんざんとん)。やや逃げ腰(失礼!)ながら、シャープな思考と、めったに他人と争うことのない円満さで、組織でも個人でも渡っていけるひと。

そして、7月は「未」の月。真夏なのだけれど、5月、6月に比べれば、既に、陰の気が陽の気を押しつつある初老のとき。「昧い(くらい)」ときに向かう時期。「昧」から日をとって「未」との説。ですから、ものしずかで、何事にも丁寧である一方で、取り越し苦労や迷いが多いのです。チャンスには、積極的に挑んでください。

時刻は午後1時から3時。陽射しは強いのですが、そろそろ夕刻へ向かおうかという頃。方角は西南、坤宮。「坤」は、母、大地。整然として、動かない、命を育む優しさ、慈悲深さをもつ。五行は「土性」、お金を引きこむ本能が強いため、一般的には堅実です。

(一般的には・・?)

はい。同じ年同じ月、さらに同じ日に生まれても、運命に違いはありますよね。どのような親のもとに生まれたか、どんな人のあいだで育ってきたかで、運命(その人の宿命をどの程度いかして生きてきているか)、ものの考え方には違いが出てきます。けれど、根本の宿命的なものは同じ、ということです。



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2006年1月24日 (火) 14:53


燃え上がる6月生まれさんの炎のゆくえは

n_15大変な雪ですね。鑑定にきていただいたお客さまの根性に感謝。

今日は流れからいうと六月生まれさん。はげしいひとですよ、あなたはネ。

六月は「午」の月。日本では大部分梅雨のじめじめした季節であっても、午の示すのは、太陽燦燦の真夏。時刻は、午前11時から午後1時。方向は真南、離宮。太陽ぎらぎら、炎めらめらですから、活動的で、さばさばして見え、頭の回転よく、弁舌巧み。好感度よく、人づきあい良好。「火性」が強いので、よく喋るひとも、そうでないひとも、内なるメッセージ力はつよいはず。情熱のひとです。

気をつけることは、「火」の短所。つまり、移り気、気まま、虚栄心。集中力が強いのですから、根気よく続けることで、人の道を照らす大きな松明となるひとです。

十二月卦では「天風姤」に当たります。不慮の出会い、強い女…という意味を思うと、マリリン・モンローが思い浮かぶわたくし。永遠のセックスシンボルとしての外面と、複雑な内面、激しくも短い人生、その不可解な死… 彼女の誕生日を調べてみると1926年6月1日生まれ。あら、でも正確には、節入日前なので5月生まれになりますね^^;

2006年1月21日 (土) 15:40


となると五月生まれは

064と、みちみち考えていたら、久々のメールあり。五月生まれの君よ。もしかして、ここ、見てますか? 更新遅れてごめんなさいね。

今日はまたまた寒いけれど… 五月は、、、いい季節ですよねー。あたたかくて、梅雨入り前の、とてもさわやかな季節。だけど思わぬ陽射しにテカったりくずれたり(顔)…日焼けしてたり。油断大敵! それほど陽気の盛んなころ。 蛇(巳)も出る季節だから「巳の月」。また、多くの神社で大祭の行われる月であることから、「祀」(まつり)の「示」をとって「巳」ともいいます。

易の十二月卦では「乾為天」。すべて陽の気からなる卦。陽の極まり。天を示す大いなる卦にあたりますが、極まるということは、極まったままではいられないということ。 望まなくても陰の気がすぐやって来て、形が変わってしまうかもしれないという懸念が生じてきます。ですから、気が長く、柔和に見える五月生まれのひとのこころに、猜疑心が育まれるのを止めることはできないのです。

慎重で、ものごとを深く考え込むひと。見かけによらず(失礼)過敏であり、他人の気持ちを読み取ることもうまいのです。

「巳」の方角は、巽宮、東南。時刻は午前9時から11時。太陽はすっかり昇り、まぶしい昼間。五行に直した「火性」は、「伝達本能」ですので、人の目をひく活動にも向いています。

ちなみに、ヒューザーの小嶋社長は巳月生まれ。6月4日は、節入り日前なので、五月生まれととらえるのです。特に、このひとは、火性に偏る宿命を持ち、非常に強い運気の持ち主です。燃え盛る炎の勢いは強いけれども、火には耐久性がないのです。皮肉な話。

火性というのは、もともと精神的な質なのですから、その才気に溺れて欲をかくことなく、気を回しすぎることなく、持ち前の才能と運気の強さを活用していけば、安泰なはずです。

小嶋社長に関していえば、今年(正確には今年2月4日から)の干支「丙戌」は、彼自身をあらわす日干支と同じ。やるべきことをやる、生まれ変わり、ターニングポイントにあたる律音の年です。どのように身を処されるのか、注目していきたいと思っております。

2006年1月19日 (木) 18:39


4月生まれには悩まされます

n_84 いえ。たまたま、身内におります4月生まれの名前の件で、ここしばらく、すったもんだしているものですから…。4月生まれの方に恨みはございません。

スムーズな改名時期を見るのには、生年月日により算命学(主に位相法)を使っています。改名は速やかに。しかし、名前とは、自分を知らしめるシルシ。新しいシルシが、違和感なく周囲となじめる時期を選んだほうがいいでしょう。 ですが、くだんの4月生まれからメールが次々と…。「どれにしよう、いつにしよう、早く決めろと言われている、昨日のメールは読みましたか、返事ください!!」 この小憎らしく(?!)愛らしい4月生まれとわたくしは、変な仲。わたくしのほうがいばっているはずなのですが、なぜだか、いつも彼女のペースで動かされてしまいます。ほかにやらなきゃいけないことがあるのに……おかまいなしです(いつも…)

4月の十二月卦は「沢天夬」(たくてんかい)。その意、追い詰める、追い詰められる、決行!…とは、言いえて妙なり。 いわゆる”男気”のあるひと。感情高ぶりやすく、悩みやすく。 3月生まれから羨ましがられている4月生まれも、内心はいろいろとあるのです。

ですが、4月、辰月。陽気強まり、草木も目に見えて成長する季節。 「辰」という字は、「震」の雨冠をとったもの。動き激しく、負けず嫌い。一見、おとなしそうに見えるひとでも、天高く舞いあがる夢をもち、プライドも高いのです。

時刻は、午前7時から9時。さぁ仕事だと、爽やかにやる気を出すべき時のひと。五行になおすと、「土性」。モノ、カネ、ヒトを引き寄せるひと。傲慢さを慎んで、障害物を取り除き、おおいにモノカネヒトを引き寄せましょう。

2006年1月16日 (月) 17:02


3月生まれって損なんですか?

gaberaB_200「4月生まれには勝てないんです」と、金曜深夜「時効警察」(テレ朝)の出演者がポツリ。

私、テレビを見ない割にはうるさいほうで(えらそうな2月生まれなので…)、この間合いはなんだ!おかしい、面白そうだと、初回を偶然見て感じました。脚本陣を調べてみると、なるほどの面々です。

主演のオダギリ ジョーさんのオトボケ役も今までで一番(!?)と感じてしまったので、しばらく見るかもしれません。余談ですが。

3月生まれは、確かに、同年の子と比べると成長が遅く、幼児期には運動やお遊戯やお絵かきや、さまざまな面で「勝てなかった」と(後から)感じている人も多いかもしれませんね。ですが、自然と身に付いたサバイバル精神!なのか、よく知恵の働く方が多いようにも私は実感しています。

3月は、卯の月。まさに春。五行に直すと、2月と同様、木性の「守り」のひとですが、硬い樹木ではなくて、柔らかみのある草木のイメージ。柔軟性があります。

日々強まってくる陽の気を受けて、こころ温かく、弁舌巧みで、雰囲気がよい、面倒見がよい。易に照らせば「雷天大壮」。やるとなったら勢いがあります。方角で見ても、震宮、東方。東は、ものごとの始まるところです。時刻で言うと、日の出、午前5時から7時。地平に、あかるさが広がり始めるとき。 空が明るんでくれば、人と喋ったり文章を書いてモノ伝えたりもしたくなるもの。初々しい愛嬌で、人とうまくつきあえるひとです。

柔らかな草木は、踏みつけられても!!また伸びてくるしぶとさを持つ反面、風にゆらぎ、たやすく方向を変える質もあります。熱しやすくさめやすい点に留意して、存分に枝葉を伸ばしましょう。

2006年1月15日 (日) 23:55


コメント

ぎchan、こんばんはー。

そうですか、偉い!のですか(^^)うれしいナ。

しかし大人になっても偉いままなのだろうか。うーん。がんばろう。

投稿 恵美花 | 2006/01/18 0:37:02

3月生まれというか、早生まれは損とうより、偉い!と思うのです。1歳のお誕生を迎える子と、おぎゃ~と生まれたての子が、七年経ったからといって、一緒の教室で勉強するなんて!早生まれの子がどれほど頑張っていることか。涙ぐましいと、3月生まれの私はおもいま~す。

投稿 ぎ | 2006/01/17 23:18:14


たとえば二月生まれ

leaf02B_300私は、鑑定するとき、「こうしなさい」と強く言わないほうです。

断定口調が似合わないやさしげな顔相のせい(^^)というわけではありませんが、他人の言うままに、決断、行動し続けていると、いざという時にお客様の自信がゆらいでしまうと考えているからです。

占いは、いくつかの選択肢、可能性、危険を示すことができます。でも、それを選んでいくのは、あなたです。

あれ、じゃぁ、占いなんていらないんじゃん?

はい。いらないひとにはいらないものだと思っています。(墓穴・・)

けれど、先日も書きましたように、「気が強い」だけでツッパっていては、チャンスを逃したり、しなくてもいい失敗や苦労を背負うことがあります。運命学は、禍を避けて自分の宿命を最大限いかしきるために、いいえ、宿命以上に愉しく生きるために、頼もしいツールとなってくれます。ツールにふりまわされるのは本末転倒です。

縁あってお客様になってくださった方が、心強くしたたかに人生を謳歌していってほしい。そういうひとを見守っていくのが私の役割です。

こんな私は…、例えば、二月生まれ。(2月の節入日から3月の節入日前迄に生まれた人を言います)

二月は、寅の月。なんだか勇ましい感じがしますが、動物の虎とは余り関係ありません。五行に直すと、木性。「守り」のひとです。自分の大事な道を守るためには闘いも辞しませんが、易の十二月卦に照らすと「地天泰」、ラブ&ピース。ひとびと争わず暮らせばいいじゃないか!と声を大きくする自分自身はちょいと気分やさん。ものごとを最後までなしとげるように注意していかないといけません。また、寅は、方角で見れば、艮宮。山のように落ち着いて見えるひと、考えるひと、えらそうなひと(‥;)、自分の守るべき人たちに対しては親分肌。季節は、早春。時刻に直せば、夜明け前。

夜明けの風景は、どんなだろう(???) それを愉しみに生きています。

2006年1月14日 (土) 19:52

コメント

「こうしなさい」と強く言ってほしい場合は、その旨お申し付けください。がんばります(^^)

投稿 恵美花 | 2006/01/14 19:54:25


ゆるす、ゆるされる幸福

060今日も占いとほとんど関係ないコトを半眠りでつらつらと。

私が尊敬しているのは、非を認めたら謝ることのできるひと。立派な方は、悪いと思えば「すまなかった」とおっしゃいます。なんだか当たり前のこと? でも

年を重ね肩書きがついたりして子どもや部下から謝られるほうが普通になってくると、自分が悪かったと認めたくないかたくなさが育まれてしまうひとも多いですね。 私も、このごろは、謝る前に「くっ」というような音が内面で鳴るように思えてきて、マズイ!と感じています。

悪くもないのに火の粉を避けようとぺこぺこ謝ってばかりも考えものだけれど。

自信のないひとと、謝れるひととは違います。

今まで自分のやってきたことに自信があれば、ひとに頭を下げたぐらいでびくつかないはずです。

「悪かった」と言えなくなったら、おしまいなんじゃないかなと考えています。

何がおしまいかというと、「成長」。

別に成長したくないひとは、それでよいのでしょうけれども。成長しないのだったら、生き続けていく甲斐がないな、つまらないなぁと私は考えるほうです。


「御免」は、許されることの敬語と、辞書にありました。

ゆるす。ゆるされる。・・・

「ごめんね」と、言える相手がいて、「いや、自分も言いすぎた」と答えてくれる相手が、今、いるとしたら、あなたは、とてもしあわせなひとなのですね。


さて、明日はもうちょっと違うこと。

2006年1月13日 (金) 00:59


人間には「こころ」がある?

n_68先日のコラムを書いてからテレビをつけると、フジで「西遊記」がはじまっていて、「勇気とは、力の強さではありません!」と、深津絵里さん扮する三蔵法師が、香取慎吾悟空に説いているところでした。そういえば、渋谷の駅構内に「西遊記」の大きな宣伝ポスターが貼られていたなぁと思い出し、つい見ていると…

お猿ハマリ役の香取さんが、悪妖怪を相手に「確かに人間はバカだ」云々とひとしきり人間の悪口を言った後に、「だが、人間には、俺達にはないココロがある」と、言い切っていました。

自分にはないココロを見つけに、天竺への旅に同行することになった悟空。どういう展開になりますやら。子どもの頃に、夏目雅子さんが三蔵を演じた「西遊記」を、ゴダイゴの歌う主題歌とともに楽しみに見ていた覚えがあります。その当時、「勇気」とか「こころ」について言われていたかどうか、忘れてしまいましたが。

面白く展開して子どもたちが見るといいな、と思ったことでした。

ひとには闇もある、二面性があっていいと、私は考えているけれども、けれど大切なことは茶化すことなく、伝えるべき者が伝えていかないといけない。テレビには、もっといろんなことのできる力があるはずなのに…。大金を使ってくだらない(と少なくとも私にはそう思われる)番組の多いこと。それこそ「勇気」ということを、考えたらどうなのか。勇気とエンターテインメントの両立は、不可能ではないはず。才能ある方たちに勇気を出してほしいものだなぁと思っています。保険金殺人などを考える頭を洗濯すすぎ脱水するぐらいのエンターテインメント・・・。妄想が過ぎますでしょうか。

2006年1月11日 (水) 22:29


心が強い?気が強い?

n_75昨日の補足ですが、運命線は手首の真ん中あたりからまっすぐ出ているとは限りません。人によっては、親指の下からとか、その反対で小指のずっと下あたりとか、あるいは生命線の途中からとか、手のひらの真ん中あたりから突然始まっているとか…、実にさまざまです。ですから、運命線がないと思っていた人でも、鑑定させてもらうと、「運命線、あるじゃないですかー」ということも多いのです。


さて、気が強いとか弱いとか、よく言いますが、「強い」というのはどういうことなのか。今日は、運命学を学びたての頃に聞いたことで、私の印象に残っていることをひとつ書いておきます。

「心が強い」人は、やわらかさが表に出る。おだやかで、人に左右されない。素直にものごとを受け入れる。

「気が強い」人は、強さが表に見える。強く見られながら、中身は弱い。つっぱねる。気が強い子は、つっぱりグループに流されやすい。いじめっ子になりやすい。

親の愛情が偏ると、「気が強い」子が育まれてくる。


いかが思われますか?

2006年1月 9日 (月) 19:10


わたくしを現す運命線

060103b運命線について話が出ることが多いので、今日は運命線のことをすこし。

運命線が手首のあたりからまっすぐに中指へ向かってはっきり刻まれていれば、アメ横あたりのおじさんのだみ声で「シャチョー」と呼びかけたいところです。

自営業者には、そういう運命線の持ち主が多いですし、たとえシャチョーさんでなくても、なーんとなくそんな雰囲気をもった方が多いものです。

「そうお?若いときは自分でやってみたかったんだよねぇ~」なんて答えが返ってくることも。シャチョーでなくてもたいていニコニコしてくれます。シャチョーと呼ばれて悪い気はしないんでしょうが、なんていうか、気が大きいのです。

くっきり濃い運命線は、自分の強さと見ることができます。自分が中心でいたい。中心として体を張れる。何かあったときに「自分が責任とるからこれでやれ」と指示できる、矢面に立てる。「なんとかなるさ」と、なんだか思っている。実際、大変だったけどなんとかなってきたという人が多い。それだけ、生まれながらの運の強さを持っているとも言えます。

では、運命線のない人は? 何かあったときに「まかせられない人」なのか?

そんなことはありません。

けれども、運命線のない人は、いざというときに優柔不断になることはあります。運命線の濃い人のように「なんとかなるさー」という、根っからの運のよさに裏打ちされた楽天的強さがないので、慎重になり、まわりをうかがいます。そういう細心さで出世される方がいます。

現代のようにIT産業盛んな複雑な社会になると、大勢の人を動かさなくても、頭がよく時期を見る目があれば、シャチョーになれる。自宅兼事務所のような会社から多大な年収を得ている「運命線の薄い」シャチーも、多く見受けられるようになりました。

そういうシャチョーさんは、知能線に特徴があることが多い。形は様々なれど知能線を2本持っていることが多いのです。

でも、運命線の薄いシャチョー、あるいは運命線のないシャチョーさんは、見かけは、やっぱり、いわゆる「ガハハシャチョー」(!?)の雰囲気がないのです。(気の強さや自尊心の強さなどは置いといて)、一歩ひいた印象を与えます。

運命線の雰囲気、わかっていただけました?

たとえば、おしゃべり好きで行動派で姉御肌の女性の手相を見てみたら、、「おしゃべり好きで行動派で姉御肌」の知能線の特徴はしっかり出ているけれども、運命線はほとんど出てない。そういう手相であったなら、彼女は、自由勝手には生きていたいけれども、でも周囲の人が思っているよりも、本音は、強い人の言うことにまかれたい、要領よく生きていきたい、リーダーシップを夫にとってほしい人だったりします。結婚相手がとても重要になってきますね。

かえってわからなくなっちゃったかな。

2006年1月 8日 (日) 20:57


秘密を守るのは当然のこと

waterA_200占い師には秘匿義務があると思っております。

手相を教える際には、実際のデータと解説が不可欠ですので、鑑定したお客様の手相で特徴的なものを、事例として用いることもあるのですが、その人となりをあからさまにしないように気をつかいます。当たり前といえば当たり前のこと。

私は、自分がやられていやだと感じることはしない主義。占い以外でもそうです。

そうはいっても、占い師になりたての頃は、「占い師」と看板を出しているだけで、さまざまな人が余りにあからさまな話を落としていかれるので、許容量を超えて、ぐったりとなることも多かった。 「王様の耳はロバの耳」と、吐き出す壷がほしいと感じていました。量でなく、質が重いのです。

でも、だんだん、あまり重くならなくなりました。いいことなのか、スレてしまって悪いのかわかりません。本業だと意識しだしてからでしょうか。

苦い失敗はあります。

知り合って間もない知人から打ち明けられた話を、別の場で人に話してしまった。私は、そんなに秘密のこととは受け取っていなかったのですが、その知人は、私を占い師だと知るからこそ、他人に話さないことを漏らしたらしかった。占いの仕事とは全く関係のない会合でのことだったので、油断したというか。うかつでした。

手紙を出して謝りました。知人は許してくれたけれども、私以外のことでもいろいろ重なって、傷ついていました。

それから、私は気を引き締めるようになりました。それから、占いをしているとむやみに言わないようになりました。美容院とか整体院とかさまざまなお店でも歯医者でも…。そうでなくても、なんとなく昔から、人からいろいろ打ち明けられやすいのです。

何を書きたかったのだっけ。

そうね、だから、有名人はともかく、公開の許可を得ていなければ、こんな人がいた、あんな人がいたと匿名であってもデータがらみで解説することはしません。面白くないかもしれないけれど。書いている人がだめとは言いません。私なら、書かれたらいやだなと思うから。それだけの理由。

2006年1月 6日 (金) 23:56


手のひらに太陽を

appleA_big冷えますね。こんな時期「デイ・アフター・トゥモロー」なんて見れません。地球温暖化が原因で世界は氷河期へ逆戻り。文字通り凍りつくニューヨーク…という映画。日本のように密閉性のない家屋では、いくら炉に火を入れたところで、押し寄せる氷の嵐を避け切ることは無理かも、やっぱ地下室がほしいね、なんて話を昨年していた頃はのん気なものでした。積雪のなか難儀されている方々のご苦労をお察しいたします。


たまには手相の話。「手相はどのぐらいで変わるのですか」と、しばしば尋ねられます。「三ヶ月」というのが一般的な回答になっているようなのですが、私の観察しているところ、人によって全く違います。

1週間ぐらいで枝線や何らかのマークが出るのに気づくこともあれば、1年してもさほど変わったように見えない手もあります。変わるからいい、悪い、変わらないからいい、悪いということではありません。

線が変化していくというのは、状況や考え方や姿勢、行動スタイルに変化があった、あるいは変化したいという印です。出会いが近い、あるいは出会いを求めている(求めるから出会いはあるのですよ)、結婚のきざし、独立運、金銭の出入りに関する欲求や吉凶、スタミナ、意志の強さ、迷い…。手相はあなたに知らせてくれています。

大雑把に言うと、縦に上昇する線、枝線は、運気UP。縦の線が増えたり(薄い線の増えすぎはだめ)、前からある線が濃くなってきていたら、「行くぞ」という印です。反対に、縦の線が以前より弱々しく見えるようなら、無理をせず、基盤整備です。横線が増えて見えるなら、ストレスや過労、苦労の多さをあらわします。

線が変化しなくても、手のひらの膨らみや張りの場所、色具合なども変わります。

湯船に浸かっている時や、お風呂あがりにクリームなど塗ってみると、手の線はつやつやとして見やすくなりますので、からだを充分にあたためて、ホッとしたひととき、しばし、ご自分の手のひらをジッと見つめてみてはいかがでしょうか。

がんばってるね、と、手のひらに声をかけてあげて。


**占いブログランキングに参加しているのですが、お正月に25位に入っていて、なんだか嬉しかったです。私にとってはお年玉でした。右欄のオレンジ色のバナーを押すと投票される仕組み。知らずに投票してしまっていた方も、意図的に押してくださった方もありがとう!!

2006年1月 5日 (木) 23:41


コメント

私も追記。

運命線が濃い人のことを、私を教えてくれた先生は、こんなふうに説明していました。

「普通なら100がんばらないとだめなところを、60か70のがんばりで成功できる」人だと。

だから、生まれながらに黒々とした運命線を持っている人は確かに運が強いのだけれど、運の力だけで生きて努力しないでいれば、それだけのこと、ということです。

運命線の分岐や枝分かれも、年を経るごとに変化するのです。私は、すごく変わってきました。

自力開運タイプだと思っていたのに(実際ずっとそういう相でした)、いつのまにか人から助けられる人の相に変わっていて…焦ったり。

行動しながら、たまに観察していくと、手相は人生の伴走者みたいに頼もしく感じられますよ。

投稿 恵美花 | 2006/01/07 0:30:33

赤月さん、投票ありがとう!!

ランキング。読んでもらってるんだなと感じられて嬉しいものですね。

運命線は、あればいい、なければよくないという単純なものではありません。でも、薄いのがはっきりしてきたということは、前よりやりたいことが明確になってきた、ひとりでも頑張れる強さ、責任感が出てきた、目立ちたくなってきた!!悪運強くなってきた!?、いろんなことが言えます。運勢が強くなるということは、女性の場合、苦労も増える場合が多いかもしれません。でも、どんな苦労も乗り越えられる根性がついてきたとも、とるのです。

前途多難、ぢゃなかった、前途洋洋。卒論がんばって!!

投稿 恵美花 | 2006/01/07 0:13:13

あ、またランキング上がってましたよー!!
おめでとうございます(^^♪
自分のことのように嬉しい☆

すみません、追記でした^_^;

投稿 赤月 | 2006/01/06 22:38:27

あけましておめでとうございます。
本当、寒いですね(>_<)
縦の線も横の線も増えつつある私ですw

きっと横の線は卒論の追い込みですね。
私はずっと運命線ってものがなかったのですが、ここ1年くらいではっきりしてきました。
でも途中で違う道に行く感じです。
専門的には分かりませんが、どこかでガラッと道が変わるのかなーなんて勝手に思って楽しみにしてます☆

ランキングおめでとうございます!
私もポチッ、押しておきますね^^

投稿 赤月 | 2006/01/06 22:35:48


カミサマが教えてくれたこと。

n_30明け方近く寝付く前にふと、子どもの頃は神棚にしきりとお祈りしている子であったことを思い出しました。「(父と母が)喧嘩しませんように」、「頭がよくなりますように」(笑)、「魔法使いになれますように」などなど…。拍手を打ったり指を組んだり十字を切ったりしっちゃかめっちゃか。されど気持ちは真摯そのもの。

母は放任、父は全否定(「子どものうちは人間じゃない」と)、そういう家で、年の離れた妹弟とは話があわず、人と理解しあうということを体感したのが遅かった。おのずと、会話する相手は、物語の中の登場人物と、「カミサマ」ということになりました。

寝付けぬ夜にも、「100回祈りますから」とか「今日は300回」とか、ぶつぶつ祈っていたのでした。

カミサマは、願いを叶えてくれたでしょうか?

いいえ。カミサマに頼むだけで自分の思い通りになったことなど、そうなかったように記憶します。

それでも、カミサマを恨んだりなじったりしたことはなかった。祈るということは、不思議ですね。

ひとには何かよりどころというものが必要です。気心の知れた友人や、話せる家族だったり、ときには傍らにいる動物や植物。ひとりでは生きていけません。

今日は、なんの結論もないのです。

つらつらと、そんなことを思い出しながら、3日、家の近くの社へお参りしたあと、早稲田にある穴八幡神社まで出てみました。今年は大切な年なので、穴八幡で配られる「一陽来復」のお札をお祀りしたかったのと、小さな有名な神社を見ておきたかったのと。

お札をもらうのに30分余り待ちました。何であっても、1時間以上待つようなら並ばない私なのですが、空が青いし、まぁいいかと、空を覆って茂る古木の枝葉を眺め待っていました。そんな時、誰と会話しているかといったら、自分とです。子どもの頃も、カミサマと話していたものか、自分と話していたものかは判然としません。他に話せる相手がいなかったからというだけの理由。

なんの結論もないのですが、空を眺めていたら、また父母のことが思われました。どうしてこの親だったのだろうと以前はさんざん思っていたものですが、私が自分とよく会話し考えることを覚え、また、外にコミュニケーションを求め慰めを求め学べるものを求めて、自分が今しっかりあるのは、やはり父母のおかげなのだなぁと思ったことでした。

この年末年始は特に、そういう思いが強く、涙ぐんだりしてしまいました。ヤバイみたい?!です。

2006年1月 4日 (水) 19:35


コメント

ハリ丸さん、いつも読んでくださっていてありがとうございます。

ここは昔の中国ではないので、「嫁は代わりがいくらでもいる」かどうかは、さておき。

失わないと理解できないとしたら、かなしいですね。

理解しようとすることは、・・・そうしようとさえ思い始めれば少しずつできてくるかもしれません。人によって事情もあるので断言はいたしませんが。

ハリ丸さんの存在も、同じようにお子さんの感性に影響を与え続けているのですよね。

家族というのはかけがえなく困ったものです。

投稿 恵美花 | 2006/01/05 23:55:38

心地よい感動。
もう一つのサイトの大みそかの記述といい、
このコラムといい、文章に魂があるって感じ
です。
(真面目な話)姿勢を正して真摯に読ませてもらいました。
中国の故事に、親と嫁のどちらをとるか、
という選択に対し、当然、親というのが
ある。その心は、嫁は代わりがいくらでも
いるが、親は2人しかいないというもの。
親との因縁は切れませんよね。
僕も親が好きだけど、嫌いだった。
甘えたいけど、甘えられなかった。
親の後を継ぐべきだったけど、
継がなかった。
よく自分が親になると、親の身持ちがわかるというけれど、
そんなもの自分が親になってもちっとも
わからなかった。
でも、父が死んでしばらくした時、
初めて父が何を考え、
何をしようと思っていたのかわかって、
独りで泣いた。
だから、今でも青い空を見上げながら、
「オヤジ!どうしよう」と対話する。
反面、今も生きている母の存在は
わずらわしい。
でも、きっと母が死んだら、母のことが理解できると思う。
親の存在ってそんなもんだと思う。

投稿 ハリ丸 | 2006/01/05 0:20:33


金子賢さんのなぞ

nekonenga新年あけましておめでとうございます。丙戌、よきも悪しきもまばゆい白日の下にさらされる2006年、驚くような進退劇を目にすることになるやも知れません。余り明るいことも書けませんが、健やかな心身の持ち主には活躍の時期となります。続きは、本サイト「占いごとemi-ka.com」ウィークリー・メッセージに書くとして(明日更新です)。

大晦日にテレビで「PRIDE」を見ていて、印象的な試合はいくつかあったのですが、運命学的には?!、金子賢さんの格闘家デビューに興味をひかれました。俳優を一時休業し、この日のためにトレーニングを続けてきました。俳優をやめるぐらいの勢いさえ感じます。温厚そうな印象の俳優さんが、なぜに?

金子賢さんは1976年10月19日生まれの29才。

算命学で陽占を見ますと、主星が「調舒星」、東西が「玉堂星」、頭が「鳳閣星」、腹が「禄存星」で、才能的には、精神分野の世界で認められる北天運の人であり、本人のこだわる本能は「玉堂星」。何かしっかりしたものを習得すること。社会的にも、特殊なセンスをいかせる「調舒星」と「玉堂星」を発揮することで評価される人のはず。格闘技も技術習得かもしれませんが、攻撃的な星が1つもなく、たえずあれこれ考える人が、相手を蹴落として勝ち上がる世界に向いているとは思えません。腹の「禄存星」が、「玉堂星」を剋しており、自分の生業に対して満足しきれない質が、影響しているのでしょうか。十二大従星も、「天堂星」「天印星」「天堂星」と、老成しているのか子供なのかとりとめのないところがありますが、穏やかです。

そこで、陰占を見ると、年干支「丙辰」で温厚そうに見えますが、月干支「戊戌」の異常干支で勝負師魂と自我の強さを秘め、日干支「甲辰」は波乱含みの日居中殺で、猪突猛進の激しさを持った宿命です。肉体疲労に強く耐久力もある。陰占にも、やはり、攻撃的な金性は、月支「戌」にしか含まれていないのですが、数理法で見るとエネルギー値が高く、使いやすい本能なのでしょう。26歳から、この金性が増加しています。

金子さんは、陰占の月支(現在)と年支(肉体の未来)、月支(現在)と日支(肉体の過去)のダブル対冲。本来、用心深い性格なのですが、月支と年支に対冲があると、いろんなことが気にかかり、1点に集中しきることが若いうちはなかなかできず悩みます。しかも、月支と日支も対冲なので、過去の栄光にこだわらず、まわりが驚くほどのいさぎよさで過去を捨て、次へ移っていけるのです。

「はじめて自分の意志でやりたいことが見つかった」という発言を、会見ニュースで読みました。それは、本当の気持ちなのでしょう。「甲辰」の人は、同じ世界の人達からなんとなく浮いてしまうところを持っています。違和感をぬぐえないのです。それが、異質な世界へ足を踏み入れると、ふっと気持ちがラクになる。

また、家族の影響力は大きくて無視できない割に、絆が強いとは言えません。ものわかりのいい青年が発揮しだした自我、自尊心の強さを見ることもできます。

2005年は日干と年支が支合し、月干が害。イヤなものはイヤと言え、やりたいことをやりたいと正直になれる年でした。精一杯戦ったとはいえ、自尊心の強い金子さんのこと、敗北の悔しさもいさぎよく捨て去れるかというと、そうはいかないでしょう。 でも、金子さん、2006年は、マスコミ、芸能の要である伝達本能のエネルギーが強くなっています。日干と年支がまたまた、ダブル対冲で、伸び悩み感はあるかもしれませんが、自然体で芸の幅を広げてはいかがかと、私は思います。

陽占「円推局」と見れば、仕事に生きる男。激しい運勢ながら戦場から生きて帰る運強さを持っています。多様な経験を積んでお仕事、極められますように・・・。

今まで、金子賢という俳優さんに余り関心がなかったのですが、大晦日のファイトで、俄然注目度がアップいたしました。

*コラムの更新は3日までオヤスミします。愉しきお正月を!!

2006年1月 1日 (日) 23:57


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